『幻視 IN 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演を終えて

冨岡三智

先月告知したジャワ舞踊&ガムラン音楽公演『幻視in堺 ― 能舞台に舞うジャワの夢 ―』(2021.10.23、堺能楽会館)が無事終わった。というわけで、今月はその公演内容に関することと先月号で書き忘れていたことについて書きたい。

 ●能舞台とジャワ舞踊

先月号で書こうと思って書き忘れていたのが、能舞台を会場に選んだ理由である。能舞台でスリンピ(女性4人の舞い)やブドヨ(女性9人の舞い)などの宮廷舞踊を上演することは、実は私が宮廷舞踊を習い始めた頃から抱いていた夢だった。女性の宮廷舞踊は神代に天界の音楽に合わせて天女が舞った舞踊が宮廷舞踊の起源だとされ、サンプールという腰に巻いた布もまるで羽衣のようだから。ジャワ宮廷舞踊は宮廷儀礼で上演されるものとして発展したので、江戸幕府の式楽である能と格では劣らない。ジャワ宮廷舞踊はプンドポと呼ばれる壁のない儀礼用建築の中央の、4本の柱で囲まれた方形の空間で上演されるのだが、その空間には特別な意味があり、1つのコスモロジーを表しているという意味で能舞台の空間と共通する。昔から能舞台の空間が好きだったので、鏡板に描かれた松の前に天女として降り立ってみたい…とずっと思っていた。

実は私は2007年にインドネシアで能の公演をプロデュースしている。その時は今回とは逆に、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校のプンドポに能の『羽衣』の天女が舞い降りた。このことは2007年2月号『水牛』に「ジャワに舞う能」という題で書いた。それから10年経って初めて私自身が能舞台を踏む機会が巡ってきて、本来複数の人で舞う宮廷舞踊曲の一部を単独舞として能舞台にかけた。このことは2017年12月号『水牛』に「能舞台に舞うジャワ舞踊」という題で書いた。そして、2019年には自分自身が振り付けた『陰陽 ON-YO』という宮廷舞踊風の曲を、今回の舞台となる堺能楽会館で上演した。この時はマルガサリというガムラン団体の公演の中での上演で、この時も単独舞であった。今回、やっと4人揃ったスリンピを能舞台で上演することが実現して感無量である。白砂青松の海岸に天女が降り立ったように見えていると良いのだが…。

 ●ガンビョン

ガンビョンは私自身の振付演出である。曲は途中まで楽曲『グンディン・ガンビルサウィッ』(スレンドロ音階)を使い、途中で無音の部分をはさんで『グンディン・ガンビルサウィッ・パンチョロノ』(ペロッグ音階)に切り替えた。実はこの2曲は音階が異なるだけで旋律は基本的に同じだが、後者の曲のサロン(鉄琴)パートにはにぎやかなバリエーションがある。今回の公演ではスレンドロ音階の楽器しか使っていないが(楽器を置くスペースが限られるため)、サロンはペロッグ音階のものも用意してそのバリエーションを弾き、無音部の前後で一気に雰囲気を変えた。実はこの無音部を挟んでの音階の転換はすでに2014年の『観月の夕べ』公演(岸和田市)でやっているが、曲の最初(メロン部)の歌やチブロン太鼓の手組はその時とは変えている。

ガンビョンは一般的には豊穣祈願の舞踊に由来すると説明されるが、今回はガンビョンの太鼓の手組に込められている意味:女性が生まれてから死ぬまでの様を描く…をテーマにしたかったので、その説明をあえてプログラムに書かなかった。セリフや物まねぶりといった演劇的要素はないものの、私の脳裏にある1人の女性のドラマを描いたつもりである。今回のように演奏が途中でブツッと切れる演出は元々伝統舞踊にはないが、それもドラマとしての表現として取り入れた。

 ●間狂言

今回の公演の前半では切戸口の前に屏風を立てていて、それを間狂言の時に舞台中央に持ち出した。これは南蛮屏風で、実は館主・大澤徳平氏のコレクションである。公演が近づいた頃、大澤氏から実はうちには南蛮屏風があって使っても良いよというお話をいただき、それならばとこのシーンで使わせてもらった。2人の風変わりな男たちが目にする堺の港風景ということにしたのだが、狂言の掛け合いにうまく取り込めていただろうか…。さらに、橋掛かりの奥の壁に掛かっていたオランダ船(VOC=オランダ東インド会社の旗が船上に描かれている)の掛け軸も大澤氏のコレクションである。この屏風と掛け軸によって堺とジャワが一気につながった。まるで今回の公演に合わせたかのような偶然だ。もし、同じ内容の公演を他のどこかで再演できたとしても、これらのコレクションは登場しない。この会場ならではの、一期一会の機会だったなあと感無量である。

 ●スリンピ

能舞台での上演のため私たち踊り手は足袋を履いたのだが(ジャワ舞踊では裸足で踊る)、通常のスリンピ上演と大きく変わったのが腰布の着付である。スラカルタ王家の舞踊では長い腰布の裾を引きずるように着付ける。過去に私が能舞台で上演したときは足袋を履いてその着付をしたが、裾が足元にからみついて非常に踊りにくくなるため(裸足だと足にからまない)、今回は通常の正装と同じようにくるぶし丈で腰に巻いた。スリンピは4人で踊り、しかも場所移動も多いから、滑りやすい能舞台で安全に踊ることを優先したのだった。裾を引かないと宮廷舞踊の魅力は半減するかもしれないと危惧したが、着物姿のような感じで能舞台にはなじんでいたようにも感じられた。

現存するスラカルタ王家のスリンピ作品は10作品あるが、今回上演したのは『スリンピ・ロボン』の完全版である。ちなみに私が完全版で上演したスリンピはこれで5曲目になるが、日本人による演奏で上演するのはこれが初めてになる。私が最初の留学をしてスラカルタ王家の定期練習に参加した1年目(1996年)はこの曲がしばしば練習されていて、個人レッスンで2番目に習った曲なので思い入れが深い。2000年に留学先の芸術大学音楽科でスリンピ3曲を自主録音したときにもこの曲を録音していて、今回その時の音源を参考にした。

『ロボン』では弓を持って踊り、弓で戦うシーンがある。基本的にどのスリンピにも戦いのシーンがあって葛藤や克己のメタファとなっているが、弓を持つスリンピ曲はこの曲を含め2曲しかない。またスレンドロ音階マニュロ調の曲を使うのはこれだけで、ロボン~パレアノム~コンドマニュロの3曲がつながったこの作品のメロディーは甘やかで、とても幸せな気分に包まれる。

今回は前奏の前にポチャパンをつけた。これは男声による一種のナレーションで、宮廷でスリンピ舞踊の前に付けるものである。これから美しい衣装に包まれた女性が舞踊を上演するというような内容で、サスミトと呼ばれる舞踊曲名を暗示する言葉が織り込まれている。

この作品の中でひときわ華やかな場面がリンチャッ・ガガッと呼ばれる振付である。実は10曲のスリンピ中7曲にあるという定番の振付で、しかもすべてオラ・アスト~スカル・スウン~リンチャッ・ガガッという流れになっている。オラ・アストはその場で手を動かす動き、次のスカル・スウンは横に滑る動きでどちらも静かな動きなのだが、リンチャッ・ガガッは体を前後に揺らしながらその場で回転する動きである。ここでそれまでよりもテンポが一段と落ち、しかも体が揺れるのに合わせて掛け声と手拍子が頻繁に入るので、踊り手はスポットライトを浴びて注目されているような感覚になる。このシーンできちんと掛け声と手拍子を入れて上演したいと思っていた。人数が限られる日本での公演ではそれは贅沢なことだが、これがあると一気に宮廷舞踊という雰囲気が出るのだ。

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以上、書き留めておきたいことだけまとめてみた。先月の公演のお知らせ文と併せて読んでいただければ幸いである。他にも書きたい点はもっとあるのだが、そのうちにまた思い出して書くかもしれない。