マレーシア、クチンの芸術高校

冨岡三智

4月17日、半島にあるクアラルンプールからサラワクの州都、クチン市に向かう。サラワクはボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島と呼ぶ)にあり、この島にはマレーシア、インドネシア、ブルネイの3国の領土がある。ひょんなことから私と、フィリピン人の演劇家、彼女の夫の音楽家がこの学校で2日間のワークショップを行うことになったのだ。国内便に乗ったはずなのに、着いたら入国審査があって驚く。独立時の事情に由来するらしいが、なんだか半島側との距離をつくづく感じた。

マレーシアの国立の芸術学校は、大学がクアラルンプールに1つ(ASWARAアスワラ)、高校がここクチンと半島部のジョホールにある。インドネシアと違って、マレーシアでは芸大の方が先に設置されて、その後に高校が設置されたという。普通は、中等教育機関を先につくって、彼らの卒業後の進路として高等教育機関の大学をつくるんじゃあなかろうか? しかこの学校は国立とはいっても校舎は間借り、日本の学校の教室の半分くらいの部屋に30人くらいがひしめいているという状態で、それを思うと、インドネシアの芸術高校や芸術大学はやっぱり恵まれた条件にあるし、国も芸術教育に力を入れているという気がする。それはともかく、芸術高校の設置地域からすると、マレーシアは半島側のムラユ文化とボルネオ島側の文化(オラン・フルとかビダユとかいろんな森の民の文化がある)を自国の民俗文化の中心と認識していることになる。が、もちろん、これらの土俗文化は当然インドネシアと(ブルネイなどとも)共有している。

昨年見に行った芸大(アスワラ)の舞踊科では、ムラユ舞踊、バレエ、インド舞踊、京劇を必須にしているということだったが、ボルネオの舞踊については言及しなかった。都会のクアラルンプールでは、ボルネオの舞踊は単なる地方舞踊という認識なのかもしれない。クチンの芸術高校ではボルネオ舞踊の授業は当然あって、彼らはボルネオ文化村のイベントにも毎年出演しているということを先生は強調していたが、初日の歓迎会で生徒が上演してくれた舞踊は、ムラユ舞踊と中国舞踊を組み合わせた新作(クレアシ・バル)だった。女性の衣装はムラユ風、髪型がちょっと京劇風で、男性はムラユ風の格好だが手に扇を持っている。ムラユも中華もマレーシア文化の一部。マレーシアもインドネシアと同様に、自分たちの多様な文化の融合とこれからの伝統舞踊の創造ということが学校の使命になっているのだろう。

ただ、この歓迎の舞踊も、文化村の劇場でのショーも、また芸術高校が作成した学校PR用のDVDに映っている舞踊も、どれもテンポが速いのが気になった。伝統舞踊を現代に生かそうとすると、どうしてもそうなってしまうのかもしれないし、イベントでも見栄えするのだろうが、外国人の目にはかえって単調に映る。

そんな風に言うのも、実は、私はジャカルタで以前カリマンタンの人達の舞踊を見ているからなのだ。もちろん、このサラワクと文化は共通している。文化村その一行はインドネシアの独立記念の一環でジャカルタに招かれ、カリマンタン島の最寄りの空港に出るまでトラックで2日もかけてやってきたと言っていた。皆お年寄りで、おじいさんたちが盾と槍を持って踊る舞踊は、静かに流れる水のように優美で、時々おじさんがシュルッと向きを変えるのも、まるで鮎がスッとUターンしているのを見るような美しさだった。その後ろで鳥の羽根を扇のように組み合わせたものを手にしながら踊るおばあさんもとても静かな気配だ。ジャワ舞踊に通底する静けさと優美さがあるなあと、そのとき感じ入ったのだった。

そのイメージが強烈にあったので、ジャワ舞踊のワークショップでもボルネオのビダリ舞踊を取り入れることにした。ジャワ舞踊でウクルと呼ばれる手首を回す動きや、ウンパッと呼ばれる手をしなる動きはボルネオの舞踊にもある。ワークショップは2日しかなく、しかも2日目の夜には舞台発表してほしいという依頼があったので、ジャワ舞踊そのものを教えるには時間が短すぎる。しかし、彼らがすでにできるビダリ舞踊の真中の部分に、ジャワ舞踊の要素を少し加味して、私もその間でジャワ舞踊を踊るというコマを挟みこめば、なんとか発表できるものができるだろうと考えたのだった。

彼らに何種類かボルネオの舞踊を見せてもらったのだが、どれもテンポはほぼ一定だ。彼らに聞いても、テンポの変化があるのは稀だというし、太鼓がテンポを変える合図を出すというアイデアもなさそうだった。またテンポも速いので、ジャワ舞踊のイラマIIのゆったりした速さで動くことと、イラマIからイラマIIへとテンポに変化をつける、太鼓で合図を作る、ということをやってみた。そうしたら、やっぱりというか、ゆっくりと動くことが苦手だった。息をするように、歌にのせて動くというのを感じてもらうために、ビダリの舞踊の前に、歌に合わせて踊る動きをつけたのだが、それもやる度にどんどんテンポが速くなって、機械的な動きになってしまう。とても心に沁みいるメロディーなのに…。発表の後で、校長先生が、あの歌の舞踊も、お年寄の動きは全然違うんだという話をされていたけれど、たぶん私が見たカリマンタン舞踊と共通する雰囲気だったろう。

彼らに、一拍でやっている動きを4拍でやってみるよう言うのだが、動きを均等に分割することができない。それに、私が数を数えると、なぜか一緒に声を出す。私が声に出して数えなくていいから、自分の動きに集中するようにと言っても、それが非常に難しいみたいなのだ。素人の方が、案外、カウントにこだわらず素直にゆったり動くことに集中できるのかもしれないと、今までの経験から思う。私自身は舞踊をするのにあまり数を数えるのは良くないと思っているので、なるべく数えないようにしてきたのだが、どうしても彼らは数えないと動けないみたいだ。今から思えば、逆にきちんとカウントして、1で手はここまで到達する、2でここまで到達する…と区切りながら教えた方が良かったかもしれないと反省している。

自分たちの知っている動きでも、ゆっくり動くということを通して、その意味について考えてほしい、ジャワ舞踊に共通するものは自分たちの文化の中にもある、というのが私のメッセージであったのだけれど、それを伝えるのは難しかった。休憩のときに数人、なんでビダリ舞踊の動きを使うの?と質問してきた生徒がいたので、彼らには説明することができたのだが、多くの生徒にとってはわけのわからないワークショップであった気もする。私としては、自分たちの知っている動きをゆっくりすることができなければ、未知のジャワ舞踊のゆったりした動きもできないだろう、という気がしていたのだが、もしかしたら、知っている動きのテンポを変える方が、未知の動きを習うより大変なのかもしれない。

そんなこんな中、無事に発表は終了。私の知っている、あの優美なサラワク(カリマンタン)の舞踊をもう一度目にしたい、と思いながらクアラルンプールに戻ったのでした。