先月末に京都府宮津市(8/28)と大阪市立大学(8/30)で開催されたジョグジャカルタ王宮舞踊団の公演に私もゴング演奏者として参加した、ということで今回はそのお話。
まずは公演の概要から。公演内容は両方とも①宮廷舞踊「スリンピ・チャトゥル・マンゴロトモSrimpi Catur Manggalatama」、②仮面舞踊劇「スカルタジ・クンバル」、③創作舞踊「曼荼羅・盆踊り」で同じだが、宮津公演では京都府・インドネシア共和国ジョグジャカルタ(以下ジョグジャと略)特別区友好提携30周年記念事業ということで、ジョグジャ王家当主(スルタン)にして知事でもあるハメンクブオノX世の挨拶があった。来日したのはジョグジャ王宮舞踊の系譜をひくプジョクスマン舞踊団一行20余名で、舞踊監督は同舞踊団を主宰するシティ・スティア女史。うち演奏者は音楽監督スマリョノ氏以下6名で、関西のガムラン団体マルガサリのメンバーを中心とする日本人計11名も演奏に参加した。一行は8/26に来日し、その日から2日間京都市内で合同練習をしたのちに公演に臨んだ。ちなみに練習と宮津公演で使用したガムラン楽器は、20周年の時にジョグジャ特別区から京都府に送られたもの。
演目の①スリンピは女性4人による舞踊で、王宮舞踊の大家、故・サスミントディプロ(通称ロモ・サス)が1957年に振り付けた作品を再創造した、とプログラムにある。スティア女史―ロモ・サスの妻―に確認したところ、1957年の振付を踏襲しているが、今回の上演用に多少アレンジした部分があるので再創造という表現になっているということだった。このスリンピはスルタンの娘(王女)4人によって踊られた。今になって気づいたのだが、楽譜には曲名が「スリンピ・ラヌモンゴロSrimpi Ranumanggala」とある。たぶん王女4人が踊るということを強調するため(チャトゥルは4という意味)、一般人が踊るときの題名と変えたのだろう。
②仮面舞踊劇の振付と音楽は今回の音楽監督を務めるスマリョノ氏によるもので、11名の踊り手が出演した。舞踊劇の題材は、ジャワが発祥で東南アジア各地に伝播したパンジ物語で、パンジ王子と異国のクロノ王がスカルタジ姫を巡って争うというお話。その過程でパンジ王子をだますためにニセのスカルタジ姫(本当は怪物)が出てきたり、本物のスカルタジ姫が影絵人形遣いに変身したりするシーンがあるために、今回の題名は「スカルタジ・クンバル(2人のスカルタジ)」となっているのだろう。③創作はジョグジャ出身で日本在住の舞踊家、ウィヤンタリ佐久間氏の振付によるもので、彼女はジャワで曼荼羅の舞踊の振付や音楽を作りこんできた一方、最後に盆踊りも組み込んだシーンでは、日本人出演者も巻き込んで即興性の強いものになっている。私も浴衣に着替えて盆踊りを踊った。
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さて、前置きはこれくらいにして、今回初めてジョグジャ様式のスリンピを演奏してみて、私が今までやってきたソロ(=スラカルタ)様式のスリンピとの違いが興味深かった。スリンピはソロとジョグジャに分裂する以前のマタラム王家の舞踊に遡るので、どちらの様式も本元は同じはずだが、現在では違う種類の舞踊だと言えるくらいに違っている。ソロのスリンピと違って、ジョグジャのスリンピでは、戦いのシーンでチブロン太鼓を使う。今回のスリンピは1957年作の新しいものだが、スティア女史曰く、ジョグジャ様式の古典の定型通りに作ってある作品で、ジョグジャでは古い作品でも戦いのシーンではチブロン太鼓を使うという。これは、ソロ様式を勉強した者には衝撃的な内容だ。というのも、チブロン太鼓は民間で発達した楽器で、ソロ王家のスリンピ(やブドヨ)では使わないからである。結論を先に言うと、ジョグジャのスリンピの振付コンセプトは、ソロ様式のウィレン・プティラン舞踊(以下、ウィレンと略)によく似ている。ウィレン・プティランとはマハーバーラタなどの物語に題材を取った、男性2人(または4人)による戦いの舞踊のことで、「カルノ・タンディン」などが代表的な演目である。
ウィレンに似ている点は、まず、戦いのシーンへ移行する時にチブロン太鼓に替わり、最初にアヤ・アヤアンという曲で武器を取り出し、スレペッグという曲で戦いのシーンを描くこと。この2曲はワヤン(影絵)でもよく使われる。戦いのシーンの伴奏は、基本的に太鼓は踊り手の動きに合せるが、要所要所のつなぎの動きでは、踊り手は太鼓に合わせる。ソロのウィレンの場合、そのつなぎ目にくる太鼓の手のフレーズは ・・db ・dtb ・tbd(最後のdで、スウアンという銅鑼を鳴らす)なのだが、今回のジョグジャのスリンピでも、ほぼ同じフレーズだった。次に動きについてだが、ジョグジャのスリンピで2人ずつ組になって左右に行ったり来たり追いかけ合ったりするところ、さらに戦いの勝敗が決まった時点で曲はスレペッグからクタワンなどの形式の曲に変わり、静かなシルップ(鎮火の意)という演出になるところが、ソロのウィレンに同じである。どちらも場面の転換が曲の転換で分かりやすく示される。
一方、ソロのスリンピでは戦いのシーンに移る時に曲が変わることはない。むしろ、1回目の発砲・発射の瞬間に曲が変わる(例:ラドラン形式からクタワン形式へ)ことが多い。しかし、その後も使用する太鼓は変わらず、かつ歌も続いているので、曲が変わったと気付く人は少ないだろう。また、戦いの場面についても、ソロのスリンピではピストルを抜いて弾を込め、構えて発砲するという一連の所作が描かれる(中には弓合戦を描いたものもある)が、2人で追いかけあうような描写はない。テンポや音量が次第に上がっていき、緊張感がピークに達したところで発砲・発射があり、そこで音量が落ちてシルップになるという進行である。場面の転換は曲の変化よりも音量やテンポの変化で表現され、2人が戦っている情景の描写ではなく、戦いの緊張感を描写しようとしていると言える。ソロのスリンピのシルップの場面では、負けた方の2人が座って勝った方が負けた方の周囲を巡るという演出をする。これはジョグジャのスリンピやソロのウィレンにも共通するが、これらの場合、勝利者が勝利を喜ぶような場面にも見えがちだ。しかし、ソロのスリンピではこの時に勝った2人が複雑な軌跡を描いて舞台いっぱいに廻ることが多く、舞台全面に広がる内面の世界の旅を描くことに主眼があるように見える。
最後に入退場について。ジョグジャのスリンピの入退場は華やかだ。踊り手はまずラゴン(ソロのパテタンのようなもの)と共に舞台脇に整列する。そして、ガンガン叩くガムラン楽器とトランペットとスネアドラムの曲(ラドラン形式)にのって、舞台脇から中央までまるで軍隊のように進む。もちろん足を高く上げるわけではないが、踊り手は両腋を卵1個分くらい開け、両腕をまっすぐ伸ばし、胸を張って歩く。ここでは、入退場もまた1つの見せ場になっているが、ソロのウィレンでも(また舞踊劇一般でも)入退場は登場人物のキャラクターを紹介する見せ場なのだ。それに対してソロのスリンピでは、踊り手は男性斉唱つきのパテタンで入場する。パテタンは雅楽の音取のようなもので、柔らかい音色の楽器のみで演奏される。男声が加わるから通常のパテタンよりはしっかりした感じに聴こえるが、踊り手の腕は体側に沿って自然なポーズであり、入退場を舞踊の一部として見せるように構成されていない。そのため、観客の目にはいつの間にか踊り手が出てきた…という感じに見える。
ジョグジャの女性宮廷舞踊はマスキュリンだと言われるのも、ソロで言えば男性宮廷舞踊のジャンルであるウィレンと振付構成が似ていることもあるのかなという気がする。