動くジオラマ ムラユ演劇

冨岡三智

3月に、マレーシアはクアラルンプールで行われた国際演劇研究学会(IFTR)のアジア演劇分会で発表してきた。発表はさておいて、そのときに見たムラユ演劇のことについて、今回は書いてみようと思う。ムラユというのはマレーシアからインドネシアのスマトラ周辺のマレー民族のことを言う。マレーシアの民族構成はざっとマレー系6割、中国系3割、インド系1割になっているのだが、このムラユ文化を中心に国をまとめている。学会はマレーシア言語委員会(DBP)が協力して、同委員会の建物で行われたのだが、学会の2日目に急きょ国立劇場での観劇に招待される。言語委員会は積極的に海外からの賓客を国立劇場に案内しているということだった。

国立劇場にはバルコニー席が3階まであるが、劇場の雰囲気はわりモダンな感じである。開幕前にアナウンスがあり、全員起立しての国歌斉唱があるので驚く。その間、舞台の緞帳一面に、マレーシア国旗がはためく映像が写される。さすが国立劇場!日本でも第2次大戦中の映画館はこういう雰囲気だったのだろうか。

このときの演目は、1960年に作られた映画「スリ・メルシン Sri Mersing」の物語を舞台化したもの。プログラムの解説を要約すると、こんなお話である。1900年、パハンに住むメラーという若者が、イルム(智識)を学びにプニュンガット島(リアウ諸島の1つ)に行っていたが、そこからパハンに帰る途中、父親に行くなと禁じられていたメルシン島に立ち寄り、父親が若い時に起こった出来事の真相を知る。30年前の1870年、父親は島の有力者の姦計にあい、スリ・メルシンという女性とも引き離されて島を出ていた。メラーはスリ・メルシンに会って、父の身の上に起こったことを知る。しかし、自身も父と似たような目にあい、島の女性と別れてその島を出る。そしてパハンに戻って再び自国でそのイルムを発展させようと考える。舞台では、1900年と1870年の出来事が交互に描かれる。

この話にはマレーシアの原点が描かれているのだと、一緒に行った言語委員会の人も言い、またプログラムでもそういうニュアンスで書かれている。もっとも、芝居の中で声高に叫ばれていたわけではない。マレーシアは自国こそムラユ(マレー)文化の本場ということを言いたがるのだが――国の名称がマレーシアだから仕方ないけれど――、でも、物語の舞台になっているリアウ諸島というのは、実はインドネシア領である…。以前、リアウに行ったときに、ここはムラユの本場論争でホットな地域なのだと聞いた。そのときは、リアウはジャワから遠いなあと他人事のように思っただけだったけれど、現実にマレーシアでリアウを舞台にした演劇を見ると、そこはムラユ文化の原点ではあっても、マレーシアの原点というわけじゃないだろう!とホットになる自分がいる。

閑話休題。

端的にこの舞台を形容すると、愛あり、涙あり、取っ組み合いあり、歌あり、の大衆芝居――ジャワで言えばクトプラ――を、予算をかけて大スペクタクルな舞台装置で上演したもの、という感じである。舞台はせりになっていて、大がかりな装置が何度も転換する。

くさい芝居にしょーもないダジャレと言うと否定的に聞こえるが、言葉が分からなくても面白さが伝わる。意外に面白かったし、飽きなかった。結婚式の音楽のシーンで、ビオラ奏者にいきなりスポットが当たって独演になったり(有名な演奏者らしい)、幕が閉まっている間に、舞台両脇にスポットが当たって、主人公のカップルが愛の歌を交わしあったり、コメディアンヌの歌があったり。舞台が終わったかと思ったあとで、スリ・メルシンによる嘆きの独唱がこれでもかとあり、最後は舞台がセリ下がっていったり。こういうシーンでは観客から拍手喝采が沸き起こる。

日本的な伝統芸術観が念頭にあると、こんな大衆芝居を最新設備の整った国立劇場でやるのかと、軽いショックを受けるだろう。学会のコーディネーターだったマレーシアの大学の先生は、あまりこの演劇を評価していなかった感じである。インテリとしてはあまり評価したくない類の演劇だろうな、と思う。一緒に観劇したマレーシア国立芸術大学の先生によると、この舞台はムラユ演劇といっても、わりと写実的な表現で、歌も少ないのだと言う。本当のムラユ劇だともっと歌が多く、ジャワのワヤン・オラン劇のように台詞に抑揚があり、ちょっと手を出すような仕草でも、踊るような様式的な身振りをするという。

で、私の独断と偏見に満ちた感想を述べてみると、アルースな(洗練された)ジャワ文化の目線で見ると、「やっぱりムラユの人はカッサール(粗野)である…。」そう言うと、ジャワ中華思想なんて糾弾されそうなのだが、仕方ない。演劇には、やっぱりその地域の人々の立ち姿だとか、物腰だとかが如実に出る。「スリ・メルシン」に登場する男性の多くは血気盛んな島の若者という設定だとはいえ、同じようなシチュエーションにおかれたジャワ人よりも体をそり気味に立っているし、目線は高いし、話し方もきついし、すぐにペッぺと唾を吐く。その荒っぽさが海の男らしくて、ムラユの魅力なのかもしれないけれど。

でも、そういう人々の基本的な身のこなしが見えるところが、こういう大衆芝居(と決めつけている)の醍醐味である。この芝居では、場面が船着き場だったり、スリ・メルシンの家だったり、人々が寄る屋台だったりする。そういう場面において、たとえば、人はボーっとしている時にどんな風に突っ立っているのか、知らない人と初めて会ったときにどう挨拶するのか、ひとしきり会話した後でどう言って別れるのか、屋台で腰かけるときにどう座り、物売りの女性にどうちょっかいを出すのか、といったようなことは、いくらムラユ演劇の本を読んだところで、また民族学の本を読んだところでも、分からない。実際に住んで観察してみないと分らないことなのだ。

ここで、いきなり話はマラッカ見物に飛ぶ。

この芝居を見た翌日に学会のマラッカ・ツアーがあり、博物館で、マラッカの歴史をジオラマで紹介しているのを見る。このときに、はたと、あのムラユ演劇は動くジオラマだったんだ!と思い至る。ジオラマというのは、単にあるシーンを人形で再現しているだけで、動かない。そこではマラッカ王家の始まりを、王の交渉?や結婚式、ほか色々なシーンで説明していた。けれど、前日に演劇を見ていたせいで、このジオラマの人形が再現しようとしている動きがなんとなく見えてくるような気がしたのだ。動かない、しかもあまり精巧な出来ではないジオラマを見るのはつまらないが、演劇ならば面白く見ることができる。動くジオラマだと思えば、ムラユの歴史を描いたムラユ演劇を国立劇場でやるのは理にかなっている。そんな風に思えてくる。そして、博物館のジオラマも、演劇で再現したほうが面白いだろうに…と思うのだが。