この3月末までのほぼ1年間、私は中学校の常勤講師をしていた。学校の仕事は、今までは非常勤講師かごく短期間の常勤講師(代用教員)しか経験がないので、こんなにどっぷりと学校の空気に浸ったのは、自分が高校を卒業して以来かも知れない。
今回学校に入ってみて、学校は「伝統」を生み出す装置なのだなと、あらためて感じる。私はジャワ舞踊の継承や発展変容、創造などをテーマに研究もしている。伝統とは、一般的には、遠い昔から受け継がれてきたものだと思われているけれど、ホブズボウム編の「創られた伝統」では、伝統の多くは近代になってから人工的に創出されたものが多いと述べられている。簡単に言えば、その伝統を創出した主体が近代国家だとホブズボウムらは言っているのだが、学校は近代になってから作り出された制度なのだ。
学校行事では、農耕の年中行事よろしく、年々歳々同じことが繰り返される。入学式、遠足、中間テスト、球技大会、期末テスト、夏休み、体育大会、社会見学、中間テスト、合唱コンクール、期末テスト、冬休み、百人一首大会、期末テスト、入試、卒業式、春休み…と毎月のように行事が襲ってきて、その行事に振り回され、こなしている間に1年が巡ってしまう。
もちろん年々歳々同じことを繰り返すのは、たとえば私が最初に就職した流通業界でも同じだ。そこでは、お中元、夏のバーゲン、お歳暮、…と、やはりいろんなイベントが襲ってくる。けれど学校行事が農耕行事や流通業の年中行事と異なるのは、その行事の担い手が(教員は別として)短いサイクルで入れ替わること、そして目的(売上アップなど)のために行事を行っているのではなくて、行事を繰り返すこと自体に意義を見出していることだ。中学校では、1年生は新米として初めてその学校の行事を体験し、2年目になると新1年生に見本を見せる側になり、3年目には、もう思い出にすべく最後の行事を頑張る。3年で生徒が総入れ替えするだけに、前年度のやり方を引き継がせようという意識も強く働くから、「○○校の伝統」という言葉を教員たちは何度も口にする。
このことは、自分が中高生の時にはあまり気づかなかった。「伝統」をやらせる側になって気づいたことだ。インドネシアに長くいたのも「伝統」という語に過敏に反応する理由かもしれない。インドネシアという国は第2次大戦後に独立した新しい国で、国民文化の創生ということが独立後の大きなテーマだった。だから伝統舞踊と呼ばれるものが、意外に新しい歴史しか持っていないことや、伝統という語が示すスパンが日本人よりもはるかに短いことを知って驚くことがしばしばあった。日本の義務教育の現場で使われている「伝統」という語の響きや意味は、インドネシアで聞く「伝統」という語のそれに似ているという気がする。