昨年9月に帰国してから半年間、実はテレビの朝ドラ「ちりとてちん」につい引きこまれてしまった。見れなかった分のストーリーも知りたいなと思ってネットを検索していたら、番組の公式ホームページやヤフー、ニフティにあらすじが掲載されているだけでなく、毎日ブログにあらすじをアップしている人が多くいる、ということに初めて気がついた。そのスタイルはさまざまで、ほぼ逐一セリフを書き留めているものもあれば、簡潔にあらすじをまとめてから、自分の感想を重点的に書いているものもある。各シーンについて均等に感想を書いている人もいれば、特定の人物に入れ込んでそのシーンを中心にまとめている人もいる。人物関係論みたいなものに当てはめて、なにやら講釈を展開しているものもある。さらに、自分なりにいろいろ外伝を展開している人もいる。
本当のところ、テレビ・ドラマのあらすじやコメントがブログのコンテンツになるんだろうかと、最初のうちは少し否定的に思っていた。けれど、いろんなブログを読んでいるうちに、ふと、こうやって人は昔から物語を共有してきたのではなかろうかという思いがしてくる。しかも、ドラマが始まって途中からブログに書き始めている人が多いことからも、よけいにそう感じる。つまり、これらのブロガーたちはあらすじを書こうと決めたから書いているのではなくて、ドラマの進行につれてどうにも書かざる気持ちを抑えられなくなって書き始めたようなのだ。
芝居であれ、語り物であれ、それらが語ってみせるドラマ・物語は、こんなふうに観客によって受け止められ、その人が身近な人にその物語を伝え、それをさらに別の人が聞いて自分の芝居に取り入れ、その観客がまた別の人に話し伝え……と連鎖し、広がってゆくものだろう。そもそも最初の話を生み出した人だって、全くのゼロから物語を立ち上げたというよりは、神話や地域の伝承、自分が経験したこと、時事ニュースや他の人から聞いたお話などからヒントを得たり、それらを組み合わせたりして、新たな物語を生み出してきたことだろう。そうやって物語は口から口へと伝えられ、多くの人の共感を巻き込みながら、その物語を共有する人間関係を、共同体を、さらには大きな文化圏を産み出してきたのだろう。
ラーマーヤナやマハーバーラタという物語も、そういう風にして伝承されてきたのだ。インドにおいてこれらの物語はいくつものエピソードを取り込みながら形成されてきたのだが、東南アジア一体に広がってゆくにつれて、さらに本家インドにはなかったエピソードも派生させてゆく。近く本朝を眺むれば、平家物語もそんな風にして成立してきたと言われる。だから、たぶん人間には、他の人に物語を語らずにはいられない習性というものが備わっているに違いない。自分が見たこと、聞いたこと、経験したことを第三者に語ってみせることで、本当にその物語を自分の心におさめ、経験の血肉とすることができるのだろう。
テレビが産み出した朝ドラの物語が、それを見た人によってブログを通じて語り伝えられ、さらにそれがインターネット上の口コミでどんどん伝播していって、それが番組以外のイベント(ファン感謝祭だとかテレビでのスピン・オフ制作決定)を派生させ、それぞれのブロガーたちもダラン(影絵操者)よろしく、自分オリジナルの派生演目まで生んでいる。私は、このブロガーたちの外伝を読むのが実は好きである。悪く言えばテレビ視聴者の妄想にすぎないのだけれど、いかにも登場人物が言いそうな口調やセリフを取り入れて、番組では描かれなかったシーンを描写しているのを読むと、結局、物語はこんなふうにして派生してゆくのではないのかなと思うのだ。マハーバーラタやラーマーヤナが東南アジアに伝わってきたときも、まさにこんなふうな熱気が渦巻いて、派生演目を産み出しながら急速に各地に伝播していったに違いないと私は想像する。