実は、いただいていた助成金の報告大会があって、昨年11月下旬にフィリピンのダバオに行っていた。そこまで行くならと、大会後にインドネシアにも5日間だけ立ち寄った時に、先月号で書いたアンゴロ・カセがあったというわけなのだった。
ダバオはフィリピンのミンダナオ島にあって、南フィリピンの経済の中心地である。世界で一番面積の広い行政都市で、港と国際空港がある。港からは主に木材が輸出されるらしい。戦前はマニラ麻の生産で多くの日本人が入っていて、その数は東南アジアで最大規模だったらしい。そのせいでもないだろうが、どことなく風景が日本的に感じられる。ダバオ湾のなだらかなラインは、私の目には伊勢志摩のイメージにダブったし、雨が時々しとしと降るという降り方も、日本的情緒がある。聞けば、フィリピンにはインドネシアのようにはっきりとした乾季・雨季の区別がなく、雨もスコールのように激しく降らないらしい。今回は、そんな風に日本やジャワとフィリピンを比較して気づいたことをとりとめもなく書いてみる。
●食べ物
フィリピンで一番驚いたのが、唐辛子を使わないということだった。アジア=唐辛子というイメージがあったけれど、フィリピンは重要な例外なのだ。そして魚介類をよく食べている。そういう味覚に合うのか、日清のシーフード・ヌードルがフィリピンでは人気のようだ。友人が来しなに、成田でシーフード・ヌードルを箱買いして機内持ち込みしているフィリピン人を何人も見たと言う。私は、実は関空で遅れそうになって、他の乗客を観察する余裕がなかったのだが、その後マニラ空港で、そういう人を何人か見かけた。ダバオのミニ・スーパーでインスタント・ラーメンのコーナーを見てみると、フィリピンの日清が地元ブランドと棚を二分して健闘している。インドネシアでは、少なくとも私がよく買い物に行くスーパーに、シーフード味のラーメンはなかったように思うし、日清ブランドもなかった気がする。日本のラーメン業界がインドネシアに進出していないのかもしれないが、日本の味覚がそれほど受けないのかもしれない。むしろここ最近は、インドネシアで韓国のラーメンを目にする。というわけで、辛くないシーフードが好きという点で、フィリピン人はジャワ人より日本人に味覚が近いようだ。
●チョコレート
フィリピンの旧宗主国はスペイン。というわけで、フィリピンの人たちもチョコレートが大好きのようである。毎日の休憩時間にはいろんなおやつが用意されたのだが、その中にホット・チョコレートもあって、銀色のボールになみなみと湛えられていた。お玉ですくってコーヒーカップに入れて飲むのである。疲れたし甘いものもいいかな…と、ある日飲んでみたところ、めまいがしそうなくらい甘かった。日本のココアをもっと甘く濃縮した感じである。
ミニ・スーパーに行ったときにチョコレートの棚も見てみると、ここではフィリピンの地元チョコと、明治チョコが棚を二分している。そういえばジャワでは、私は日本製のチョコレートを目にしたことがない。ネスレのキットカットはあったけれども。チョコなら、旧宗主国オランダのバン・ホーテンの板チョコをよく目にした。明治のブラック・チョコも置いてあって、苦いチョコもいけるらしい。ミニ・スーパーには、ホット・チョコの素も売っていた。オレオ・ビスケット位の大きさのチョコ・タブレット(砂糖入り)が中にいくつか入っていて、それを1個ずつカップに入れてお湯で溶いて飲むとある。買って帰ろうかと思ったが、昼間の甘さを思い出してやっぱり止めにする。
●高床の建物
郊外にツアーに出たときのこと。道路沿いの景色を眺めていると、畑の中にある小屋は明らかに高床式になっている。町の通り沿いにも高床式の家があって、住居は2階部分だけで、1階部分には柱だけしかないという家もあった。そのがらんとした1階部分を八百屋にしていたり、家具製作やオートバイ修理の作業場に充てていたりする。そうでなくても住宅は高床をほうふつさせるものが多い。住宅はほとんど2階建てで、1階と2階で建材やデザインががらりと異なっている。1階部分はどの家も似たりよったりで、木材も塗装されていないが、2階部分はそれぞれの家できれいにペンキを塗り、窓のデザインや装飾にこだわりが見られる。1階部分より2階部分が張り出し気味に建てられていて、重心が高く感じられる。こんなふうに2階部分が家のステイタスを感じさせるつくりになっているのは、やはり住居部分のメインは2階にあると考えられているからだろう。とすれば、これもまた高床からきた美意識だろうなと思ってしまう。けれど、そういう家々の間に、ヨーロッパ風の造りのカトリック教会が点在する風景は、インドネシアのモスクを見慣れた目には妙な感じである。また高床の家というのも、東南アジアの特徴だと聞いているのだが、ジャワの辺りでは見ない。インドネシアの島嶼部では高床式の家が見られるが、ジャワでは地面を固めて三和土(たたき)にして、床にする。その上に金持ちは大理石やタイルを貼る。プンドポだってそういう作りだ。
●お土産屋さん
ダバオが交易都市だと強く実感したのは、お土産屋さんに入った時のことだった。泊まったホテルの隣には大きなショッピング・センターがあって、お土産屋さんが軒を並べており、主に布製品やアクセサリ、カバンなどの小物を置いている。ここではもちろん地元の伝統織物なんかも売っているが、手ごろな値段の布製品はほとんど皆インドネシアかタイからの製品なのである。染めのTシャツやスカート、パンツなど、明らかにジョグジャあたりの工房で作って、バリあたりでよく売られているものだ。ジャワでありふれているバティック・プリントのポーチや衣服もある。おまけにバティックそのものも売られているではないか。私が見つけたものはジョグジャカルタの文様のカイン・パンジャン(約1m×2.5mの大きさ)で、バティックとしては最低ランクの質のものだった。それが、なんとインドネシアよりも安い値段で売られている。その一方で、一見していかにもこれはタイの織物、タイの柄と思われる布でできた服やカバンも多い。
あるお土産屋さんでインドネシア人と一緒に買い物していたときのこと。私がある服を手に取りながら、「これはインドネシア製よね?」と聞いてみると、「はい、そうで〜す。」と店員。それにインドネシア人が驚いて、「そ、それじゃあこの製品は?」と彼が手にしていた布を見せると、「それはタイ製で〜す」。「ここには純ダバオ製のものはないの?」と、さらに彼がつっこむと、「ここにあるのはみ〜んなインドネシア製かタイ製で〜す。ダバオと書いたこのTシャツだけが地元産で〜す。」という返事。それに対してインドネシア人は、「君たちにプライドはないのかい!?」と怒っていたのが、何ともおかしかった。確かに、フィリピン特産のお土産を買おうとするインドネシア人には、選択肢の少ない土地であった。けれど逆に考えれば、近隣諸国から何でも安いものが流入してくる土地で、それはそれで便利ではないかとも考えられる。旅行者の方も、ここではインドネシア産のものが安く買える!と思ってしまうのが良いかもしれない。