「ライカの帰還」騒動記(その7)

船山理

第1話が完成に漕ぎつけるまでには、思ったよりも多くの時間が必要だった。ネームの書き直しこそなかったけれど、吉原さんも気負ってしまったのだと思う。何せ彼にとって初の「連載」だったし、作品の露出がコミック専門誌ではなくカメラ専門誌であることも、余計な気を使わせてしまったに違いない。編集部が指定した掲載号の発売日はみるみるうちに迫り、3カ月分のストックという話は早くも怪しくなりつつあった。

私は仕上がりまで、あと一歩という第1話のコピーを、このとき小学館でヤングサンデー誌の初代編集長に就任していた友人にも見てもらうことにした。すると「今すぐにでもウチの連載と差し替えたいくらいだ」と言われて、さすがに嬉しかったのだが、いい話ばかりではない。やっと完成した第1話の原稿が、あるまいことか掲載誌側からクレームがついたのだ。相手は一杉編集長である。

第1話はレイテ沖海戦で搭乗していた空母が沈められ、海に逃れた主人公が、艦首から飛び込む水兵の姿を目撃するというシーンが核となる。従って全編が戦争描写であり、集中爆撃を喰らう緊迫した場面もある。これを見た一杉編集長は「戦争の話はダメだ」と言い出したのだ。あれぇ? これがどんな話かってぇのは、編集会議のとき原作のコピーを見せましたよ? すると「とにかく戦争の話を2度続けるな」と来た。

話は前後するが、掲載誌である月刊カメラマンは右開きの横組みである。これはコミックにとって都合のいい体裁ではない。というより、ある意味ではコミックとしては致命的なハンデを背負う。というのは、通常なら右上から左下に読み進むところが逆になり、フキ出しの中に入るセリフも、読みやすくするために縦組みではなく、横組みにしなければならなくなる。しかし、このことは覚悟の上だった。

というのも、ウチの会社でこの作品を世に出すためには、月刊カメラマン誌に連載する以外の手段はないからだ。単行本化の際にはどうする? といったかなり重要な項目は「そのときになったら考えよう」で済ませてしまった。とりあえずは「世に出ること」が何より先決なのだから、一杉編集長のトンチキなクレームも、まともにケンカしていては始まらない。彼は協力してもらわねばならぬ存在なのだ。

私は急きょ、これも戦闘シーンだらけになるはずの第2話の修正に取りかかった。第2話では駆逐艦に救助された主人公が、波間で救助を待つ同胞たちを、舷側から見守るというシーンが核となる。流されたロープを奪い合い、波に消えて行く彼らの断末魔を目の当たりにした主人公は、海に浸かって作動しないライカで「これを撮らねば」と思い、涙ながらに「自分はカメラマンになる」と決意するのだ。

主人公が「生きて帰れれば自分はこの道で生きて行く」と決心する大事なシーンを、私は第3話に予定していた「東洋一の鉄塔を登り、疑似航空写真を撮影する」という物語にズラすことにした。第2話の後半部分を第3話の中に組み入れて、300メートルを超える鉄塔の頂上に達し、自分しか見ることのできない光景に遭遇した主人公に、先のセリフを言わせたのである。吉原さんはこの回を実にうまくまとめてくれた。

だけど親父にしてみれば、くだんのシーンこそは、自分が報道カメラマンという職業を目指したルーツに他ならなかったわけで、是非とも描いてほしかったはずなのだ。親父は半ば笑いながらそれを指摘し、私は苦しい言いわけをしたことを覚えている。しかし結果的だが、凄絶なシーンで独白するより、鉄塔を登りつめたあとで言わせたことで、この話の全体の読後感を爽やかにすることができたとも思うのだ。

さらに話は前後する。前回で編集部のスタッフに訊かれたこの話の「タイトル」について触れておかねばならない。私はけっこう構えてしまって、松本清張さんの「ゼロの焦点」のようなカッコいいタイトルをつけたいと考えていた。親父は松本清張さんが「アムステルダム運河殺人事件」を週刊朝日カラー別冊に掲載するにあたり、資料写真の撮影取材でオランダに同行している。私がハタチになる前の話だ。

余談になるが、この推理小説の中でゴルフをするシーンがあり、このスポーツに疎かった松本清張さんは、親父にその部分を丸投げしている。戦前、慶応の学生時代からゴルフに嵌り、プライベートハンデだがシングルの腕前だった親父は、断るに断れなかったのだろう。どのくらいが使われたのかは定かでないが、唸りながら夜遅くまで原稿用紙と格闘していた親父の姿は、今でもよく覚えている。

というわけで、私は「瞬間(とき)の焦点」というタイトルを考えた。何にしてもそうなのだけど、自分が推したいものを採用させるには、周囲にダミーを設ける。私はカメラマン編集部にプレゼンする際に、いくつかのダミーを用意した。これに比べりゃ、こっちだな、と思わせるためである。その中にトンボの眼鏡をもじった「とんびの眼鏡」というのも混ぜ込んだのだが、あるまいことかこれが絶賛されて、決まってしまった。

吉原さんはこのタイトルを「へぇ、面白いじゃないですか」といった程度だったけど、私はこのタイトルの「ツジツマ合わせ」を行なうことが宿題になった。それでサブキャラクターの竹さん(吉原さんが親父の顔を投影している)に、報道カメラマンをトンビに例えて「とんでもないところから狙って、一発でかっさらっていきやがる」というセリフを言わせることにした。何となくツジツマは合ったようだが、どうだろう。

苦労したのは全12話で考えていたストーリーが、前述の理由で1話分減ってしまったことだった。仕方がないので取材中に仕入れた親父の体験以外のエピソードから、オムニバス的に繋げて1話分を作ってみたのだが、吉原さんはこれもうまくまとめてくれている。このように、この話は原作どおりに描かれてはいるのだけれど、吉原さん自身のアイディアや表現は、全編にわたってちりばめられている。さすがである。

特に後半のストーリーで、敗戦間もないころ、それまでカメラの入れなかった公官庁の建物を撮影する話がある。首相官邸の退避防空壕の奥に、要人を脱出させるためのトンネルを発見した主人公は、どこまで続いているのか確かめようと言うのだが、同行した記者はやめておこうと言って争いになる。この記者がそう言い放った理由は、実は吉原さんが考えてくれた。私には考えつかなかっただけに、感心させられたものだ。

このように「とんびの眼鏡」は掲載誌の進行を妨げることもなく、極めて順調に回を重ねていった。最終回「ライカの帰還」で、レイテの海で海水に浸かったライカが主人公の手に戻るというエピソードにかかったとき、私は単行本化に向けて編集担当役員の田中さんと、コミックコード取得に向けた活動を開始した。取次が出版社に発行するこのコードがなければ、コミックの単行本化は始まらないのだ。

このとき、モーターマガジン社には新たに大園さんという人物が常務に就任していて、ホリデーオート誌の編集長経験者でもある田中さんは、彼によって役員に抜擢されている。田中さん自身も「とんびの眼鏡」を評価してくれていて、ハードルが高いとされるコード取得にも意気盛んといった様子だった。しかし、その裏でこの作品が窮地に追い込まれるという事態が進行していたことを、能天気な私は知るよしもなかった。