消えた潜水艇

璃葉

東京にきて間もないころ、生活費を稼ぐために半年ほど街角にある老舗のバーで働いていた。夜7時から数時間、大きなスピーカーからジャズの流れる、照明を極力落とした店内のバーカウンターでお酒を作る仕事だ。キャンドルのようなライトに照らされてぼんやり浮かび上がる空間を、今思えば私は、かなり気に入っていた。真っ黒の重い扉、格子窓、タバコのヤニで黄色くなった壁、ゆったりと過ごせるいくつかのテーブル、舞台やライブのチラシが並べられた棚の上に置いてある、薄ピンク色のダイヤル式電話。小さなタイルが床に敷き詰められた化粧室。目につくものどれも、新しかったものがゆっくりと古くなってここまでやってきたものばかりだ。その格好の良さが好きだった。マスターは料理担当で殆ど厨房の中にいたから、店番は私一人だけだった。客が来ないときは、バーカウンターの中でぼんやりと時を過ごした。ビールケースに座って本を読んだり(暗いのであまり捗らなかったが)、ウイスキーの銘柄をひとつひとつ調べたり、ラベルをスケッチしていた。その退屈さに欠伸が止まらない日もあったけれど、暗い海のなかをすすむ潜水艇の中にいるような感覚に、なにか貴重なものを感じていた。スピーカーからアニタ・オデイの声が聞こえなくなり、いつのまにかCDが曲を終えたことに気づく。引き出しから新たなCDを取り出し、オーディオにセットする。その日にかけるCDの順番はマスターが決めていて、棚の一番前から順にかけていくのがルールのひとつだった。そんなゆるりとした作業をいくつかこなしていると顔見知りの客がやってきて、映画や舞台の話なんかをしてくれる。やがて学生や常連客がぽつぽつ来ていつの間にか満席になり、大忙しになると、あの一人の退屈な時間が恋しくなるのだった。飲食店であくせく働いていると、退屈への恋しさは常だった。

店の料理はどれも美味しく、働いたあとも休みの日にもよく居座った。ブロッコリーとアンチョビのペペロンチーノと、アーリータイムスのソーダ割りを頼むのが私の日課になっていた。

店を辞めたあともしばらく通っていたが、引っ越しをしたり新しい職などに就いてから何となく遠のいてしまい、そのまま2年ほど時が経った。
久々にあのペペロンチーノを食べたくなって、駅から歩いて細い曲がり道に入る。黒い外観と看板、それを引き立たせるような、店名が書かれた筆記体のピンクのネオンが出迎えてくれるかと思いきや、そこに構えていたのはチェーン店の居酒屋だった。明るいライトがぴかぴか輝いて、きつい光が道にまで漏れている。黒い潜水艇は海の静けさのなかに消えてしまったのだった。