京王稲田堤(いなだづつみ)駅と、
南武線の稲田堤駅とのあいだを、
ふと道にまよって、菅(すげ)の原、
沼地の奥です。
こすげの白いさきを濡らして、
あなたは京都の沼に去り、
わたしは奈良の「水(み)ぐま」を引き上げると。
み吉野の水ぐまの菅を、
〔み吉野の水隈(ぐま)の菅を〕
編まなくに苅りのみ苅りて、
〔編みもしないのに刈るだけ刈って〕
乱りてむとや
〔乱れるままにしておいてよいの?〕
折口が傑作とする巻十一、
二八三七歌です。
水ぐまって何だろうね、
自嘲の歌だと折口は言う。
いとしい人を手によう入れないで、
いま多摩地の水場に嵌るわたし。
(何回目かのまんようしゅうの通読は、まだ本文にかかずらわって、いつ終わるのかな。
み吉野〔之〕ノ水(=み)ぐまが菅(=すゲ)を〔不〕編まなくに、苅り〔耳〕ノミ苅りて〔而〕〔将〕乱り(て)むトや〔也〕
万葉びとの用字をそのまま生かして現代に持ってくる最初の試みだ。だれもやってないね。〔之〕とか〔不〕とかの漢文の助字はかなに変え、上代音(カタカナ表記)を現代語に合わせるまでが許容範囲だろうよ。
み吉野の水(=み)ぐまが菅(=すげ)を編まなくに、苅りのみ苅りて乱りてむとや
かれらの苦心の表記が伝わるでしょう。全部で四五一六首、一通り終わって自分だけが利用している。「三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也」(原文)だと、さすがに読める人は現代にめったにいないだろうから、家持(やかもち)さん許して。)