新造船──翠の虱(28)

藤井貞和

光のうろを、(と歌人がうたった)
おみなはたまわり、
あがないぬしにむかって、
身をひらく。

で、有漏の身というのだとすれば、
無漏は「むろ」でしょう。
虚(うつ)ろ船が、
船出する西牟婁郡。

そのための、新しい船材と、
航海の技術。 
智定房(下河辺行秀)は、
五十日あまり、ふだらく浄土に滞在してから、

『冥応集』によれば、
熊野に帰還したそうです。

(短歌というのは「をみなは生命〈いのち〉のうろをたまはる光る虚〈う〉ろ光よわれらがあがなひぬしよ」〈奥井美紀〉)。『冥応集』のことは、松田修「補陀洛詣での死の旅」〈伝統と現代(特集・世捨て)、1972/7〉による。松田氏の言わんとするところは、けっして絶望的な行程でなく、新しい船を駆って勇躍、観世音に会いにゆく確信の旅だったと。)