平和――翠の水晶67

藤井貞和

     ドームのしたには、原爆部落
       (と言いました)がひろがり、
          石川孝子(女教師)は、
     教え子のゆくえをひとりひとり、
                尋ねて回る。
ある子どもは粗末な墓碑の下に眠る。
                   特撮は、
     爆風に蹴散らかされる敗都を、
       スクリーンに映じる。
 小学生たちが、みんなで泣きながら、
          手をつなぎ、
      映画館から出てくると、
なぜかきょうは平成22年4月25日です。

(新藤兼人さんはいまも言いつづけているそうです。この映画をみたら、だれもが原爆を持つまい、作るまいと、心に誓うはずだ、と。1952年〈昭和27〉、小学生たちは新作の「原爆の子」を見に、連れられて行ったのです。乙羽信子の女先生が、数年ぶりに広島を訪れます。岩吉爺さん(滝沢修)の手から孫の男の子を彼女は奪い取って、島へ連れ帰ります。というように、小学生たちには見えました。映画館を出て、私たちは誓います、「原爆ゆるすまじ」と、ね。「ほんとうに平和だったとき。もうぜったいに戦争はないんだと、蒼空が沁みてならなかったとき。そう、昭和20年代の、前半だったかな」と、井上ひさしさん〈哀悼します、井上さんほんとうにたいへんでした、お休みください〉。きょうは平成22年4月25日。ろうそくの火を両手に、人文字を作りにいま私は来ています。「NO BASE OKINAWA」、東京 明治公園から。)