作曲家って

笹久保伸

作曲家ってどんなことでしょう

後生の歴史に名が残る作曲家もたくさんいるが その何倍、何十倍、何百倍もの 世に知られずに過ぎていった作曲家がいる 中には一人くらい 天才的な人もいただろうが

最近亡くなった、知り合いの作曲家Edgar Valcarcel(ペルー)は生前「自分が死んだら 楽譜は家族に捨てられる、もし息子が残したとしても その子供(孫)が 保管する保証はない、楽譜は売れないから、捨てるしかない」とよく言っていた まあ、確かにそれは そうだと思う

現に もう捨てられている有名作曲家の作品もある 人によっては 後に誰かが注目し、探し、捨てられたと思っていても 後で 楽譜の複写が発見されたりする事もある だが それは幸運で 全体の0.1%くらいだろうか

そう考えると、作曲家を志し、勉強し、生涯それだけに生き しかし 自分の死と同時に 楽譜も捨てられる 評価も賛同も批判も受けず 過ぎていく それは どういう事なのだろう

一方 多くの人々に知られれば それでいいのか と言えば どうなのだろうか?

Edgar Valcarcelで言えば 彼はいつも お金を持っていなかったし リマの国立音楽院の院長もしていたが 年金は月2万円で いつも 文句を言っていた しかし 彼を見ていると いつも楽しそうだった 幸せだったと思う

それが作曲家なのかも しれない と思ったが Edgarが「親が病気の時にも 金がなくて病院に連れて行けず……」と言っていた時は 何とも言えず 作曲家って大変だね……と答えた

演奏者にしてみれば 新しい(最近できたというだけの意味で)作品を弾くというのは面白くて 新しい作品の作者というのは大体生きているから その気になれば 作曲家とコミュニケーションを取ったり共同作業をしたりできる それは 音楽を演奏する際の魅力的な動機の一つだと思う 舞台上に立ち一人で楽器を演奏していても 音楽演奏は自分と他との共同作業

例えばショパン(今健在でない人なら誰でもいいが)にちょっと質問があっても 電話するわけにはいかない だいたい書かれた楽譜の音符を弾くしかない こうなってくると 演奏者は準備の過程で共同作業感はほとんど感じず あたかも一人で考え 一人で黙々と練習し 一人で演奏する 最後には 作品を勝手に崇拝?する そんな感覚になってくる まあ だから楽譜とコミュニケーションして 一応共同作業 というような事にしているのか

過去に書かれたものは 作者がここにいないと 紙に書かれた通りに弾く以外に方法はないかのように人は思うらしい 書かれた通り弾かなくてはいけない と言い切る事もできないし 勝手に弾いていいか と言えば そうとも言い切れない つまり 作者はもうこの世にいないから 仕方ない わからない もうあとは弾き手の判断

絵画なら 絵が残る 誰もその作品に あとで絵の具を塗ったりはしない

音楽は 芝居に近いか 内容(台詞)が同じでも演出家や役者によって だいぶ伝わる印象が変わる それは うまい へた の話しではなくて

平面から立体化し 浮かび上がり 動きだす 動き出したら 台詞にそって勝手に動き出す

音楽も 作曲家が作ったものから 個々一人歩きしても いいのではないか

「あるアイデアの土台」の提供が作曲家の役割 演奏者への動機の提供 まあ 作曲家の役割とか言って、それを言い出せばきりがなくなるくらい たくさんの役割を持つ

作曲家が表現したかった事 それを奏者が忠実に表現する という思想の基に演奏される音楽 これは どうなのだろう

書かれた文章を読み間違えないように気をつけながら復唱する=間違えずに読む練習
書かれた文章を 筆者の語り口で、またはそれを想像し語ってみる=筆者の心境を探る
書かれた文章を歌ってみる=自分のために またはその他のために
書かれた文章を会話のように語ってみる=誰かが答えてくれるかもしれない

作者が気づかなかった事を 読者や視聴者が発見する事もよくある

言葉は 書かれる前に生まれ 書かなくても 語られる

音も 書かれる前に生まれ 書かれなくても すでに音はでている

またEdgar Valcarcelの話しに戻るが 彼は言っていた「世の中に作曲家であると名のる人がこうもたくさんいると、むしろ自分が作曲家であると名のる事が恥ずかしくなってくる」

これは どう取るべきか 世の中に 素晴らしい作曲家がたくさんいるから 自分が作曲家となのるのが恥ずかしいのか それとも つまらない作曲家がたくさんいるから 自分が作曲家と名のるのが恥ずかしいのか

今から考えれば 彼に聞いてみたかったとちょっと思う Edgar Valcarcelの死は残念だ

長年連れ添った奥さんとはやっと離婚が決まり 家も無事に売却し これでやっと長年交流(世間的には別の言い方も使われるが)を続けた彼女と暮らそうとしていた その矢先の事だった 新しい生活が始まる事をとても喜んでいた 彼のあの顔が忘れられない 人生色々だ しかし まあ これは 作曲家に限った話しではないが

彼はヒナステラの助手をしたり アメリカに渡りコロンビア大学他で学んだり ペルーに戻れば 国立音楽院の院長になるも 仲良くなった生徒には勝手にディプロマをあげてしまい それが問題になり、反対する生徒が裁判を起こし 裁判に負け 院長クビになったり 国立交響楽団の指揮もしていたのに ケンカして 自分の作品を永久に演奏させない手続きをしたり 何かと スキャンダラスな人生を送ったEdgar Valcarcel 彼はプーノ県出身、アイマラ文化圏の人間で 自分のルーツについても「自分にはアイマラの血が流れている」それが原点だと言い 前衛的な作品をたくさん残した

コンピューター音楽を作っていたのに パソコンは扱えず メールも打てず 楽譜も最後まで手書きだった 家に行けば 黒い木の ぼろぼろのテーブルと調律されていない2台のピアノがあり 「弾いてよ」というと「嫌だよ」と言っていた 大昔の作曲家って もしかして こんなだったのかな と想像していた

ペルー音楽の ある分野の 一つの時代が終わろうとしているような そんな気がする

作曲家って そういう感じか