ペルーでの話(2)

笹久保伸

ペルーに住んでいた頃、多くの日系ペルー人と知り合った。ペルーには戦前から日本人が移民しており、首都のリマはもちろん、アンデスやジャングル奥地にまで日系人が住んでいる。リマには日秘文化会館という建物もあり、日本語教室、日本風食堂、コンサート、様々な活動をしている。たまに文化会館で出会う日本人移民一世の人と話すのはとても楽しく、自分の励みになった。中には戦前に移民した人もいて、戦前移民は話し方や価値観なども当時のまま、彼らの口から聞く日本は自分が育った日本とだいぶ違い、自分にとってはタイムスリップした感じすらした。

移民した人は本当に苦労した、アマゾンの密林で木を切り、土地を開拓し農業を始めた人、アンデスで農業をした人、その仕事は様々だが、当時の苦労は日本ではほとんど紹介されていない。なぜだろうか。

日系人の中には元大統領のアルベルト・フジモリが有名だが、音楽界で活躍した日系人もいる。クリオージョ音楽のアベラルド・タカハシ・ヌニェス、アンデス音楽ではルイス・ナカヤマ・アクーニャ、アンへリカ・ハラダ、現地の音楽に大きな影響を与えた。その他にも詩人、画家でも数人いる。

移民して70年間ペルーで過ごした石井治子さんは私がリマで企画したほとんどの演奏会に聴きにきてくれた。リマ郊外のスラム街でのイベントの時もきてくれて、いつも一番最後まで拍手をしてくださる。石井さんは宮城県出身で、20歳の頃ペルーへ渡った。実家は旅館をされていたそうだ。ペルーというなれない土地で暮らすのはとても大変だったそうで、お会いするたびに色々な話をして下さる。日本での思い出、ペルーへ来た頃の話。当時は飛行機ではなく、船でペルーまで来たので何ヶ月もかかった。船内で亡くなった人の亡骸は海へ葬られたり、その過酷さは計り知れない。「住めば都」という言葉はあるが、実際はどうだったのだろう。まったく知らぬ土地、親戚もなく、言葉もわからず、いじめられたり。

私が何かで悩んでいたときは、絶対にあきらめない精神を教えてくださり、人間関係で問題があったときは「負けて勝つ」(一歩引き、一見負けたように振る舞い、本当は負けない)と言う事を教えてくださった。自分より70年間長く生きている石井さんの言葉は重く、無条件に心の奥底まで届いた。石井さんの持つ強い精神にはいつも驚かされ、話しをするたびに、自分の苦労などは全然苦労ではない、と思わされる。あの精神を見習わなくては、といつも思いながら、そう簡単にできる事ではない。