ペルーの現代音楽

笹久保伸

ペルーには国際現代音楽フェスティバルがある。
日本ではペルーと言うと、日系人のフジモリ元大統領とか、インカの黄金とかマチュピチュ遺跡やナスカ、シカン文明、そういったものばかり宣伝されている影響で、国際現代音楽フェスティバルなんて人に言ってもあまりピンとこないようである。ペルーに行くとポンチョを着たインディヘナがそこらへんにいるのか、とたまに聞かれる事があるが、それは外国人が日本人は着物で生活していると勘違いすることや、映画の影響で日本人は侍とか、皆空手ができるとか勝手に信じているのと同じ感覚である。山岳地域に行けばポンチョを着たインディヘナが生活しているが、リマは大都会で、高速道路もあるし高層ビルもあるし、寿司屋も5つ星ホテルも、何でもある。

国際現代音楽フェスティバルに話を戻そう。「国際」と名が一応あり海外からも演奏家が来る。フェスティバルがあるという事はそういう作曲家たちがペルーにいるという事である。昨年のフェスティバルは「Edgar Valcarcelを讃えて」というコンセプトでEdgar氏の作品がたくさん演奏された。Edgar Valcarcelはペルーのアンデス地方プーノ出身の作曲家である。アルベルト・ヒナステラの弟子で60年代にはアメリカへ渡り、電子音楽の研究もしていた。彼の叔父にあたるTheodor Valcarcelはインディヘニスモの作曲家で有名である。

EdgarValcarcelはとても面白い人で、今70代だと思うが、とても魅力的な作曲家である。過去に彼はペルーの国立音楽院の院長でもあったが、とにかく貧乏らしく、「貧乏だ、情けない、この国はだめだ、文化庁は何をしている……」が彼の口癖である。彼の給料は月200ドルらしく、相当厳しいそうである。ペルーで最も重要な作曲家の一人であるが、どこからの支援もなく、彼は本当に大変そうだった。Edgarは「自分が死んだら、書いた楽譜は絶対に家族には渡さない、家族に渡したらゴミ箱行きだ、息子が大切に保管したとしても、孫が捨てるかも」と言っていた。作曲家が一生かかって書いた楽譜を後に家族が捨ててしまった、という例がペルーにはよくある。彼は電子音楽をやっていたが、パソコンはまったく使えない。メールすら打てない。楽譜も手書き、彼の家にある虫に食われた2台のピアノは調律されてなく、狂ったピアノで仕事をしている。理由は調律費が払えないから。彼の精神には本当に頭が下がる。

ところで彼の作風だが、何しろ楽譜は出版されていない、録音もほとんどされていないのだが、アンデスの民謡をモチーフに、分解したり、断片的にしたり、何かをはさんだり、抜いたり、そういう手法が多く見える。独特で、西洋的もしくはアメリカ的な音楽とは異なり面白い。

Edgarの友人でArmandoGuevara Ochoaというユニークな作曲家がいる。彼はアンデス地方「クスコ」出身でペルーの音楽史に残る名作を残しているが、彼はほとんど行方不明に近い。かなり探して、数回Armandoと会う事ができたが、彼は今80代で、今もなお放浪生活を送っている。ちょうどダラスからクスコに戻ったばかりの彼に会ったのだが、奥さんに捨てられ、家がなく、お金もなく、ピアノの生徒が経営する小さいホテル(ペンション)にいそうろうしていた。用事でリマに出るときは警察の宿舎にお世話になったりしている。Armandoは楽譜を大切にしない人で、しかも放浪しているので、どこに楽譜があるのかわからないらしい。手元には旅行かばん2つだけだった。

クスコの作曲家でPablo Ojedaと言う人がいたが(いるが)、彼はある時まで音楽界で活動し、ある時からインカから伝わる宗教(密教らしいが、実態は不明)に入り、音楽界から姿を消した。今はクスコ付近のジャングル付近の道端にて暮らしているそうだ。

若い世代の作曲家は何をしているかと言うと、あまり新しい事は出てきていない。優秀な人たちは海外に出てしまい、ペルーには仕事がないため帰ってこない。このフェスティバルで演奏される若い作曲家の作品はほとんどない。最近新しい音楽院がリマ市に設立され、期待は大きい。

このフェスティバルの特徴に、出演者が(海外の)ペルーの現代作品を必ず演奏するというのがあり、面白い。ペルーではペルー人がペルーの現代作品を演奏するようなイベントは他に無く、ようするに、聴くことすらできない。その点このフェスティバルはペルー音楽界において非常に大きな意味を持つ。

興味のある方、フェスティバルは毎年11月頃にリマ市で開かれるので、ちょっと遠いですが是非。(泥棒に要注意。)