ペルー音楽から垣間見る、音楽研究家と演奏家、それぞれの価値観

笹久保伸

1ペルーの人類学者、作家であったホセ・マリア・アルゲーダス(1911-1969)。彼はペルー音楽界にもいくつかの仕事を残している。アルゲーダスはアンデス地方出身であった理由もあり、今となっては重要となるアンデス民謡を数曲採集している。作家としても彼の代表作は翻訳され、日本でも手に入り、アンデスの世界観、価値観を知るのにはとても興味深い。

2006年の7月、ペルーの人類学者でアルゲーダスの弟子でもある、マリア・ロサ・サラスからアルゲーダスの残した資料とその他のインディヘナの音楽を研究し、CD付の本を出すプロジェクトの依頼を受けた。自分自身、以前からアルゲーダスに興味があったので良い機会だと思い参加を決めました。

私はアンデス音楽独特の奏法やその音楽に用いられる調弦方法、各土地に根づく音楽形式などを研究し、アレンジし、また田舎に旅に出て資料を集めた。一方マリア・ロサはオフィスで仕事を進めた。このプロジェクトは1月(2008年)ペルーの文化庁と国立音楽院の協力をへてペルーにて発表された。

このプロジェクトに参加して経験として得た事は多いが、結果的にこの資料はまったく面白くない物になったと自覚している。まさに一つの資料として終わった感じである。その理由には、研究という観念からアンデス音楽を見た(考えた)場合、視野は狭まり、音は平面的になり、立体感がまるで無くなった。同時に、研究目的に歴史、伝承を変に厳守すると、音楽が鎖で縛られるようになってしまう。これらの研究は簡単に言えば、音楽を机の上、紙の上ですべて小さく完結させてしまうのである。アンデス音楽の重要な要素はちょうどそれら紙の上に表しにくい事、「精神」Espiritu「時間」Tiempo「律動」Cadencia「息吹」Vivencia などにある。

CDではマリア・ロサが歌い私が弾いたのだが、とにかく弾きにくく苦労した。彼女は確かに学者だが、アンデスの人ではなく、また特にアンデス音楽について深く研究もしていなくて、要するに、頭でっかちなのである。本人は実際に現地に行かず、弟子たちに資料を集めさせ、それをうまく編集し、あたかも自分の研究かのように本を出す学者が世の中にはいると言う事を初めて知った。

本のタイトルには「インディヘナの歌」などと書かれているが、中にはインディヘナの音楽ではない物も含まれている。例えば、カーニバルの音楽など。カーニバルは植民地時代にスペインから持ち込まれたヨーロッパ文化(キリスト教の文化)である。この人は本当に人類学者なのか、と疑うし、一体これは何の研究だ?と大きな疑問である。(発表前はこれらの本の詳細を見せてくれなかった)
オフィスだけでの研究はミスが出るからいけない、と再度告知したが、寝耳に水で、結局大きなボロが出てしまった。その他にもマリア・ロサの持ってきて使った音源にはある研究家によって採集された物や、伝承曲でない物まで混ざっている事を私が発見した。早い話、こんなのは研究などではない。最低である。

本人にそれを言うと、激怒した。今風に表現すると、「逆切れ」である。
「これは私のプロジェクトで、あなたには演奏の依頼をしているだけだから」と言われた。世の中はこんなであると知った。

結局、本とCDは良い形で発表されたが、もう2度とこんな偽物研究書などの仕事には携わりたくないと思う。音楽演奏家と、音楽研究家は似ているようで、それぞれ異なる次元で仕事をしているようだ。またこれらを見破れなかったペルーの文化庁と国立音楽院、サン・マルティン・デ・ポーレス大学には残念であるし、また、よくこんな本を出版してくれたな、と思う。

ペルーと言う国は正しい事を言うと悪になる場合も多いので、プロジェクトに参加していながらこんな批判を言う私などはきっとかなり嫌われると思う。
演奏家の友人達からは「ペルーにはこういった音楽資料がまだまだ足りないから、きっと学生や勉強している人々の役に立つよ」と慰められるが、そう、こんな本が役に立ってもらっては困るし、もっと役に立つ資料を作っていって欲しいと心から願う。