ひどい風邪に見舞われた。
熱が出たのは10月1日。「水牛」の10月号の原稿を書き上げた晩、動くのがいやになるくらいのだるさに襲われ、翌朝はノドの痛みと咳で目が覚めた。起き上がる気にもなれず、完全ダウン。
咳が激しいので、2日目にすぐ近くの内科に行った。壁に寄りかかっていないと待っているのもつらいほど。ふらふらしながら帰ってきて、処方された薬を5日間、真面目に飲んだ。でも、よくなって行く感じがしない。たいてい風邪は3日目くらいから回復していくものなのに、7度台の熱がだらだらと続いた。
この7度台の熱というのが曲者だ。頑張れば動けてしまう。母の介護もあって1日中寝ているわけにも行かず、とはいえ90歳の老人にうつしたら大変なことになるので、マスクを2重にして手を何度もアルコール消毒して、よろよろと買い込んだ夕食を食べさせに通う。予定に入っていた会議にも出席し、ずいぶんと迷ったけれど、前売りで買っていたチケットを持ってコンサートにも行った。でも、座って目を閉じると、すーっと気を失うような感じ。ステージに近い席なのにオーケストラの音もピアノもずいぶん遠くて鳴っているようで、結局、半分で切り上げて帰ってきた。
こういう無理がいけなかったんだろうか。熱は1週間たっても下がらなかった。毎晩、発作のような咳で何度も目が冷め、食欲もないから、体重が減ってきて筋肉が落ちて行く感じがリアル。年寄りがひと月入院すると歩けなくなるとか、そんなことがじぶんの身にも起きるんじゃないかという気さえする。これって、ほんとに風邪? 不安にかられる。
じぶんでも頼りない、力が入りきらない足腰。熱っぽくどこかふわふわした感覚。この感じ、覚えがあるよな…とたぐり寄せたのは中学1年、13歳のときわずらった病気の記憶だ。秋が深まったころに、両親、叔父叔母、従兄弟たち一族郎党で岩手のゆかりの地を訪れたあと、疲れがたまったのか寒かったのか家族みんなで風邪をひいた。扁桃腺が腫れ上がり熱が出て学校を1週間も休んだあと、もう大丈夫と家を出た朝の体がそんな感じだった。歩いていても地面にしっかりと立っている感覚が弱くて、カバンを下げてもひどく重たく感じ、通うこと3日。結局また体調が悪くなり、尿にたんぱくが出たのだったか腎盂炎と診断され、3週間も休むことになった。
首まわりのリンパもあちこち大きく腫れていた。母も入院の事態となって、別居していた祖父祖母がひと月ほど面倒をみにきてくれたのだったが、祖父が「こんなに何カ所も大きく腫れて、何か他に病気が隠れているんじゃないか」と私のやせた首にできたグリグリをさわり、心配そうに顔をのぞき込む毎日が続いた。栄養になるからと、根菜から葉物まで、野菜を細かく刻んで煮て仙台味噌を溶いた具だくさんの汁物を、朝も晩も飲まされた。
でも、病院にいっしょに行ってくれたことはなかったと思う。明治生まれの祖父母にとっては、13歳というのはじぶんの体の具合をじぶんで感知して医師に説明できる年齢という意識だったのだろうか。回復して通学するようになってからも学校から帰るとカバンを置き、日に日に夕暮れが早くなる道を10分ほど歩いて内科に通った。薄暗い診察室で診てくれるのは、眼鏡の年配の先生で、聴診器を当て、喉をのぞき、首をさわり、横にされると腎臓の具合を探るのか、お腹もていねいに触診された。たまたまいた看護婦さんは、同級生のお母さんでいつも何かと気づかってくれた。
ずっとあとになって、祖父も同じ年頃のとき胸膜炎になって学校を長期休学し、一人薬をもらいに病院へ歩いて通っていたことを知った。病気の子どもは、一人で痛みや不安に耐えている。弱っているからこそ神経は鋭敏になるというのか、まわりの大人の気づかいがどんなに暖かいものだったとしても、思春期になればその暖かさの奥にある心配や不安をも察知する。思慮深かった祖父は、たぶん目の前の弱っている孫にじぶんも味わったその境地を重ね見ていたと思う。
その頃は、一人薄暗い穴の中にいるようで、穴から見える外の風景は青くてまぶしくて、元気に動きまわる友だちの姿はずっと遠くにあるようだった。“からだの弱い子”というまわりからの視線に、情けないようなくやしいような思いもあるのだけれど、かといってそこに立ち向かう力が身の内からわき上がってこないどうしようもなさ。くぐもった気持ちを抱え、穴の中で黙って体が回復するのを待つほかになかった。
それはもしかすると、野生の動物が傷んだ体を回復させるのに、群れから離れて静かなところで時間が過ぎるのに耐えるのと近いかもしれない。傷が深ければそこで命は尽きる。力が湧いてくれば、エサを獲りに穴蔵をあとにできるだろう。
振り返ると、幼児期から思春期の入口までは病気ばかりしていた。畳の上の布団に一日中寝かされていると、窓の外には空ばかりが見える。この風邪でも、じっとして秋晴れの雲の流れを見ていた。外はまぶしい秋晴れなのになぁと感じながら。腎盂炎を診てくれた先生には「あなたは体力もないし、こういう病気をしたのだから、大人になってもあんまり無理はできないよ。ずっと体を大事にして過ごしなさい」といわれた覚えがある。
学校を卒業して働くようになり、地域づくりの手伝いに海や山へ出かけるようにななった30代、私は一転してエラく頑健になり、めったに風邪をひくこともなくなった。出張して夜に会社に戻ってから原稿を書くとか、間に合わなければ朝までパソコンにかじりつくとか、そんなこともへっちゃら。社内でもタフなヤツと評され、「いやあ丈夫だよなぁ」と面と向かっていわれることもあった。
それがどうしたことだろう。この風邪の居座り方は。
結論をいうと、熱が下がったのは発熱の2週間後。それからさらに2週間、ゲボゲボと咳をしてひどい鼻声で過ごしてきた。今日は31日。ようやく咳がおさまりつつあるが、なんとひと月も体はウィルスに乗っ取られたままなのだ。
人の一生を白い紙に曲線グラフで描いて、40歳くらいの壮年期のところで2つに折ると、幼年期のかたちと老年期のそれは相似形になる…というようなイメージが私にはある。社会の中で身につけたものが、老年期になるとほどかればらけれていって、子ども時代の「素」の状態に戻っていくような感じだ。
としたら、まさかこの回復力の弱さって、寝込んでばかりいた幼年期を再現するような老年期の最初の一歩? いやいや、食べて寝てウィルスをまずは追い出しておきたい。
みなさま、あちこちで聞きますよ、この一カ月に及ぶ風邪。どうぞご自愛ください。