また揺れた。3月16日、夜11時半過ぎの地震である。
いつもどおり緊急地震速報のアラーム音がけたたましく鳴り、リビングにいるときはいつもそうするように反射的に食器棚を押さえにかかると、ひと呼吸置かないうちに揺れが始まった。…でも、そう強くはない。壁の高いところにあるガラス戸の中のこけしがカタカタと揺れ、でも倒れずに持ちこたえているのを見ているうちに揺れはおさまった。ああ、よかった。すぐにテレビをつけ、速報を待つ。
と、またアラーム音が鳴り出した。一度揺らされているからなのか、最初のアラームより大きく聞こえる。間をおかずにすぐさま揺れ出して、今度は家がつぶれるのではないかと思うような大きく激しい横揺れ。しかも長い。こけしがばたばたを倒れ、吊り下がっているペンダントが2灯、天井にぶつかるように激しく動き、押さえている食器棚のガラス戸が開いてカップや皿がガチャンガチャンと床に叩き落ちてきた。うわぁ、テレビが斜めになって棚から落ちそう! 叫び声を上げるなんてことはほとんどしたことはないのだけれど、このときは一人だったからか「ギャー」と大声を出していた。静まったところで、3度目のアラーム音が鳴った。また!と構えたが揺れはこなかった。
速報が出た。震源地は福島沖。マグニチュード7.4。ヒヤリとする。福島でまたとんでもないことが起きているのではないか。
倒れかかったテレビを起こし、部屋の中を見渡す。冷蔵庫が30〜40センチほど西に動いている。マグニチュード7をこえると、食器が割れ、本棚から本が崩れ落ち、場合によっては本棚自体が倒れてくる。何しろ、この家の東半分は築63年なのだ。揺れるたび、倒壊の不安がよぎる。
あっ、金魚の水槽は大丈夫だろうか。隣の部屋にスリッパもはかずに飛んで行くと、足裏に冷たい水がじわっと染みた。冷ゃっこい。その瞬間、思い出した。去年の2月の地震とまるで同じことやってる、と。明かりをつけると水槽の水があふれて床は水浸し。去年は、照明器具のシェードが落下して水槽を直撃し、ガラスが割れ、水浸しの床の上に飛び出した金魚がひくひくと動いていたのだった。
東日本大震災以来、いったい何回、大きな揺れに見舞われたろうか。「東北地方太平洋沖」とよばれるあの地震はマグニチュード9。と、書いている先から、この世の終わりを告げるようなとてつもなく長かった激しい揺れがよみがえってくる。2日前には、マグニチュード7.3の地震があり、約一ヶ月後の4月7日の夜には、7.1の余震があった。
去年は、2月13日にマグニチュード7.3。3月20日に6.8。5月20日に6.9。本棚がくずれこけしが倒れ、起こしたこけしがひと月後にまた倒れたから、もう起こす気力がなくなって年末近くまでそのままにしていた。
1901年(明治34)生まれの祖父は、よく「長く生きていると、2度は大地震にあう」と口にしていた。祖父は20歳を過ぎたころ徴兵制の服役中に関東圏で関東大震災に遭遇して災害復旧に従事し、77歳で1978年(昭和53)の宮城県沖地震を体験し、その翌年に亡くなった。その間に、戦火で家を失うという経験をしているけれど、いま年に何度もこうして強烈な揺れにさらされている身からすると、あなたは地震の少ない時代を生きていたんだよ、と言い返したい思いにかられる。特に戦後の高度経済成長期は、そう大きな地震を想定することなく先を考えていた時代といえるのかもしれない。経験が少なければ、感覚は鈍り想像力は失われ、備えは甘いものになるだろう。
東日本大震災の直後は、あまりにも余震が多く、停電という事態にも追い込まれたので、夜も10日くらいは揺れたらすぐに飛び起きることができるように服を着たまま横になっていた。じぶんでも興味深かった変化は、わずかな揺れにもからだが反応するようになったことだった。アラーム音に頼らなくても、センサーが入っているかのようにかすかな揺れにからだが気づく。遠いところで起きる微動が、数秒後には実動となって近くに迫ってくるのをありありと感じるとることができるようになった。こういうのを危険の予知というのだろうか。「震源地が福島沖か、宮城沖か、三陸沖か、何となく違うのわかるよね?」という友人がいて、うん、そうだね、わかるよねと答えたことがあった。
この稿を書いている間にも、千葉県を震源地に地震があり、少し前に今度は京都が揺れた。
もう日常的に頻発する地震を前提に、家の中のしつらいや毎日の行動を決めていった方が賢明かもしれない。ついでに書いておくと、確かに上にストッパーをかませていた本棚は倒れなかった。観音開きの食器棚の扉は、ゴムか何かできっちり結びつけておいた方がいいし、カレーがいっぱいの鍋は流しの中に置いて寝るのがいい。
庭に来る鳥を見ていると、小さな鳥ほど餌をひとつつきするたびにまわりに注意し、警戒を怠らない。背後から迫ってくるクマや突進してくるイノシシに遭遇する恐れは、たぶん都会ではないだろうから、ヒトがまず恐れるべきは地震かもしれない。鳥のように飛び立つことも、四足で駆けることもできないぶん、生きものとしての感覚を何とか取り戻して。