もの書き(3)

スラチャイ・ジャンティマトン

荘司和子 訳

チェートが書くものはだいたい週刊誌用のアクションもの小説の類である。ときには一行に一語しか書いてないこともある。ボキッでなければ、ピシャッとかバシバシとかいった類のことばだ。ヒットした初めての作品は『パヤックパンラーイ(千の縞の虎)』といった。

チェートは北部の出で、ラミー(トランプゲーム)がうまい。自分が書く小説みたいにヤクザっぽくて喧嘩好きである。ただしぼくらと一緒にいるようになって以来、誰かと喧嘩しているのは見たことがない。たまに一緒に飲みに行ったり遊びに出かけたりすると足をひっかけてころばそうとする。こういう下町のごろつきからはひたすら走って逃げるしかない。

こんなこともあった。ロイカトン(灯篭流し)の日に映画館脇の市場へみんなで飲みに行った帰り、チェートは映画館の前で大声を上げたのだ。
「おーい、この辺りに足は売ってねぇかよ〜」
もちろん10本以上の足がそろっていたわけだが、逃げおおせた。

来る日も来る日も書き物をしているわけだから、生活物資たとえば、靴、着るもの、食料などに事欠くことになるのも当然で、そうなるとぼくらへの要求が激しくなった。ぼくらのほうもほとんどの者が理想やイデオロギーに入れ込んでいたのだから、すきっ腹をかかえて背に腹がくっつくというような塩梅だったのだ。家賃はとくに大問題で、たびたび借金をかかえることになり、夜逃げしたこともある。とはいえそうなる前になんとかしようとがんばったものだ。それぞれが仕送りのない独り者で、なんとか自活しなければならなかった。

プラスートにはなにがしかコネがあった。年上の連中とのつきあいがあったからで、それは彼が酒飲みだったせいもある。先輩のもの書き連中もだいたいが酒飲みだった。それで生活の糧を得る方法が広がったのだ。ある晩プラスートが言った、
「白表紙本書くなら簡単に書けて儲かるぞ」
白表紙本とは当時、闇で刷って闇で売った猥褻小説のことだ。簡単だというのはとりたててすばらしい内容である必要がないからで、刷り手もどこで印刷しているのか明らかにしないし、優れた書き手を求めているわけでもない。そう、誰にも想像がつく単純な内容でいいわけである。

その後わたしはもうひとりの友人と出会った。わたしが売るためにものを書くのか、社会的価値創造のために書くのかという分岐点に立っていたころのことだ。その友は芸大という囲いを出て、もの書きになろうとしているアーティストだった。漫画や挿絵を描くほか、ジュンは質のいい短編小説の書き手でもあったのだ。そのころのぼくたちはそれで、本のはなしか飲み屋を回って歩いている日々を送ったものだった。飯を食う金すらないこともしょっちゅうで、どこでもつけにしてもらったあげく、つけにできる店もなくなるありさまだった。

「ちょっと試してみたらどうかな、まずいことにはならないだろう」
と彼は言う。
「芸術的美しさというのをさ、猥褻文学をX指定の緩い数字かR指定の厳しい数字とかの段階で創造性を高めて、グレードの高いエロスへしていこうぜ」と、彼は付け加えたので、わたしは出口が見えたように思い彼の言うことに気持ちが傾いたのだった。(つづく)