オチャノミズ(その1)

スラチャイ・ジャンティマトン

荘司和子訳

実際のところ何度も日本に来ているのに、わたしの日本語がうまくなるというようなことにはならない。近頃はたまにしか来ていないから公式の表現とか単語などますます記憶が薄れてしまっている。公式な表現というのは習い覚えたお定まりの表現ということだ。たとえば、日本人がわたしに学校で習ったような丁寧なあいさつをしてくれると、こんにちは、私の名前は。。。。、お元気でいらっしゃいますか、とかお達者でいらっしゃいますか、などということになる。こんなふうにはなしていると堅苦しいし、暗記してきたようで生気がない。

わたしにとっては何かはなすとしたら気持ちから湧き出てきて触れあえるようなのがいい。ところがそれが難しいのだ。それで沈黙がわたしにとってはどんなことばよりもすぐれた表現になる。

わたしにふさわしい表現といえば沈黙していることとうたうことに勝るものはないだろう。わたしがうたってきた多くの詩(うた)は哀しい歌だった。めざす道なかばで斃れていった多くの友、離別、山岳や森林のすがたなどだ。聴いていた日本人の中には涙をにじませている人もいて、音楽ということば、さまざまな歌の奏でるリズムが、絵画や演芸、園芸などと同じく人びとの楽しむアートのひとつであることに気づかされた。。

「まだ大丈夫ですか」ユーゾーさんはいつもこんな風に訊いてくる。
「ダイジョーブ」と、わたしは日本語で応える。

ユーゾーさんは笑顔満面で、瞳が嬉しそうに光っている。この男はそこそこ有名な歌手でギターも弾く。タイ語もかなりうまい。タイ語らしい言い回しにはまだ苦労しているが。タイ語が好きだとはいえ日本人なのだから、われわれタイ人と同じにはなせるわけはないが。

オチャノミズに来るのは何回目だろうか。ここは学校の多いところで若者の往来がはげしい。大学もあれば中学や高校もあるし、古書店街でもあるし、ギターなどの楽器店が並ぶ地区でもあるのだ。