スラチャイ・ジャンティマトン

荘司和子訳

こころに深く刻まれた人生の場面はどれも記録に残す。時間のあるなしは問題ではない。写真でもなく、イマジネーションでもなく、絵画でもなく。あの日わたしはピンパーと出会った。わたしはその若い女性の奥底に炎を見たように感じた。彼女の両眼にタバコに火をつける際のライターの灯がともったかのように。

孤独にさいなまれたある夜わたしは王宮前広場を周るコンクリートの道をあてもなく歩いては時間つぶしをしていた。もう11時過ぎだというのに若いカップルが幾組もまだ芝生で愛を囁きあっている。それをながめると妬ましい気もわいてくる。自分の恋人を思い出したりもする。彼女はさっさと結婚してしまった。。。それだけだ。わたしたちの恋もそれで終わりだった。彼女が大きなお腹をかかえている姿を思い浮かべてみる。あと何年かすればもう何人もの子持ちになっているだろう。子供たちを学校に行かせるために少しずつ蓄えをしていくことだろう。40歳になるころには勤勉でい続けるにはもう疲れてしまっているかもしれない。異性間の愛情には夫婦となること以外にはいったい何があるのだろうか。寡婦のこころのうちに、背中をさする老婆の掌に、静謐な光と風の中に、彼女は何故暖かさを見出そうとしないのだろうか。

道路には車も通らなかった。たまにバスが疾駆してくるくらいだ。王宮前広場を一周する歩道を歩いていると前方から3、4人の男がやってきた。そして酒の匂いをプンプンさせて通り過ぎていった。タクシーを停める声が聞こえる。それから値段の交渉をする声。そのあとかれらはシートに身を投げかけ脚を投げ出して目的地まで眠っていくのであろう。

わたしが自分の影を見つめているときタマリンドの並木の中の一本から男の呼び声を聞いた。わたしはあいかわらず歩き続けていた。自分が呼ばれているとは思わなかったからだ。

「ちょいと、あなた。。。」その声が大きくなった。それとともにコンクリートに当たる靴の音がついてくるのを感じて振り向いてみると、靴音の主は髪をきれいに梳かしつけた清潔な身なりの小柄な男だった。腕時計をしている。ほの暗い灯りの中でつるっとした顔の肌と笑みを浮かべた眼が見て取れた。

「今もう何時ころですか?」と彼は訊いた。
わたしはその男の腕時計を不可解な気持ちで見やると、彼はゆっくりとわたしに近づいてきた。香水の匂いが鼻についたのでこの男が何者であるかはっきりと分かった。
「君は時計持ってるじゃないさ。わたしはないのに。うるさくついてくるなよ。あっちへ行けよ」
「そんなに急いでどこへいくんですかあ?」男はそう言うとまだついてくる。

この男の汚れた口の中、淫らな熱い息を思うと吐き気がした。話をする気にもならない。時によってはこの種の連中を疎ましいとは思わないこともあるのだが、時によっては疎ましいと思う。いじめてやりたくなる。そこでわたしはわざと笑顔を作って言った、
「家に帰るのさ。いっしょに行くかい。バスももうなくなる。来いよ」と手を広げて見せた。
男はためらいを見せた。彼の顔色が青褪めていくのを見た気がした。それから失望したように戻っていった。わたしは勝利して意地の悪い快感を味わうと男の背後からどなった、
「お〜い来いよ、この化けもん!」

(続く)