葡萄酒のことなど

大野晋

まず、「など」の方から。

ほんの少しのご無沙汰で、信州小諸の懐古園にある蕎麦屋 草笛本店に顔を出したら、バラックのような建物がきれいになっていて驚いた。そばの味は変化なかったのでよかったのだが、いきなりの変化はびっくりを超越していた。昔の汚い建物も好きだったんだけどな。

さて、ひょんなことから、日本のワインに興味を思った。正確に言うと全く興味がなかったわけではないけれど、面白そうだと腰を落ち着けて追いかけてみる気になった。

東京モノの私は身内に酒飲みがいなかったこともあり、ぼんやりと葡萄は山梨、ワインは山梨という印象を思っていた。これは小さな頃、学校の林間学校で行った清里からの帰りに毎回買い込んだ葡萄屋(当時、中央自動車道もなかった頃の清里へのバス旅行は途中でトイレ休憩もかねて、必ず勝沼あたりの葡萄園というか、葡萄棚を吊った売店に立ち寄るのが普通だった。この頃のなごりはまだ勝沼周辺の街道筋にわずかながら残っている)の葡萄ジュースの印象が強かったからに違いない。

その後、進学した信州で初めて、塩尻の大規模な葡萄農園や地域限定の葡萄の産地(松本郊外の山辺地区は上質な葡萄が取れることで地元では知られている。ただし、ほぼ100%を地元で消費するためにあまり県外で知る人は少ない。)などを知っていくのだが。

当時のワインにした葡萄は、ベリーAや甲州、ナイアガラや生食にもするデラウェア、巨峰などを使っているのが普通で、まだ、欧州の葡萄を日本で本格的に育てるまではいっていなかったように記憶している。農産物の輸入解禁がテレビを騒がせていた時代で、低価格の海外産のフルーツに奪われる市場で、いかに日本の葡萄の流通経路を広げるかといった観点が一般の人の観点だった時代。

そんな時代に、アルコール度数の少ないワインを楽しむ理由は、信州限定商品を探し出して買い込むことだった。必ず秋になると近所のスーパーの酒屋にメルシャンの信州限定品で「桔梗が原ロゼ」と「善光寺平竜眼」という2種類のワインが並ぶのを楽しみにしていた。まあ、当時の学生のコンパでは、もっとコストパフォーマンスのよい一升瓶ワインが活躍するのが普通だった時代の密かな楽しみである。

さて、その後、よく調べてみると、メルシャンの桔梗が原の農場では、欧米に認められるワインを作るべく、メルローという欧州種の葡萄の栽培を始めていた時代と重なっていて、もしかすると試験栽培されていたメルローの使い道があのロゼだったのかもしれないとふと考えた。

一方の竜眼は、甲州と並ぶ日本の固有品種で、もとは明治時代に中国から輸入された竜眼葡萄らしいと言われているけれど、その後、忘れ去られて、1970年代には細々と長野市周辺に残って、善光寺葡萄などとも呼ばれていたという話を最近知った。善光寺平は今の千曲地区を指すのだろうから、当時、白ワインの原料品種の育成に、メルシャンが千曲地区で乗り出していたのかと思ったりした。

1980年代にはそんな感じだった信州のワイン造りだが、今は隔世の感がある。

今年開かれたサミットで各国の首脳に出されたワインのいくつかは、それこそ、善光寺平周辺で作られた葡萄を使って作られているし、桔梗が原で作られたメルローの赤葡萄酒は過去何回も国際コンクールで金賞を受賞して今や幻のワインになっている。限定品だった竜眼葡萄の白葡萄酒は、いまや信州を代表するローカル商品として、いくつもの醸造所で作られている。

そんな様子を見るにつけ、原酒の枯渇というとんでもない事態を招いたジャパニーズウイスキーブームの次は、日本ワインではないかと強く思うのだった。というか、すでに人気商品は入手困難になりつつありますけどね。今のうちにいろいろと飲んでおくと面白いですよ。