あきがきた

大野晋

ようやく涼しくなってきたと思ったら、もう11月だという。
気づかないうちに一年が過ぎ去ろうとしている。

先日、「手のひらを太陽に」やアンパンマンで有名なやなせたかしさんが亡くなられた。故人を惜しむ声の中で、噂雀たちは身寄りがないといわれる故人の遺産の行方に興味津々らしい。
著作権法では、遺言がない場合には、全く法定相続人がいなくなった著作権は消滅すると考えるのが妥当なのだそうだ。今後、誰がそれを証明するのかはわからないが、証明されれば、50年を待たずしてやなせ氏の著作の一部でも青空文庫に納められるのかもしれない。
そんなことを考えて、ふと、来年の正月に著作権の切れる作家は誰なのか?が気になった。「死せる作家の会」と題された一覧を見ると来年は野村胡堂と長谷川伸が対象になるらしい。今年に続いて時代劇の巨人たちの著作権が開放される。昔に比べると元気がないといわれる時代劇がこれで元気を取り戻せれば、それはそれで望ましいことなのではないか?と思う。ぜひ、銭形平次を下敷きにコミックやライトノベルを創作して、世界に日本の偉大なる先人たちの面白い物語を広めてもらいたいものだ。それができるからこそ、二次創作の価値というものがある。

最近、本屋に立ち寄ると面白いことに気づいた。
数年前までは大きなコーナーを占めていたコミックの書棚が年々小さくなっているが、その中でも女性向けのコミックが年齢層に関わらず縮小されている。この傾向は新刊だけかと思ったら、近所の新古書店(一般にはブックオフという)でも、女性向けコミックの棚が非常に小さくなっている。もしかすると、女性は無駄なものを買わないか、気に入って買ったものを捨てないからかとも思ったが、全体的な傾向らしいので女性の女性誌ばなれが進行しているらしい。
私の若かりし頃は、コミック、マーガレット、LaLa、りぼん、花とゆめと少女を対象にしたコミック誌が花盛りだったようにも感じる。その昔は、男性の漫画家が少女コミックを書いていたものだが、その頃の作家は引退したか、男性誌に移っている。その分、今は女性作家が男性誌と言われる雑誌で連載を持っているのだが。

読書の秋。
昔は漫画の本ばかり読んでいると、それは読書ではないと怒られたものだ。多くの先人たちがコミックの地位を向上させた現在、さて、コミックを読んでいる子供は親に昔のように怒られているのだろうか?
その前に、親たちが読んでいるか?