ネットはゴミ捨てか? 宝の山か?

大野晋

以前から同様の議論はあったように記憶している。コンピュータの仕掛けに精通している業界人であれば、こんな問いにはうんざりとするのだろうが、一般の人々はそこまでよくわかっていないためにネットに過大な驚きを感じたり、その一方でおおいに恐怖に感じたりするようだ。

しかし、いろいろなメールが飛んで来たり、他人の仕掛けた罠にかかって犯罪者に仕立て上げられたりするのを考えると怖いという感情もわからないこともない。

ネットを例えるとすると、道路のようなものと言えばいいだろうか。道路は車も通れば、自転車も通る。そこには交通事故も起これば、ときどきは泥棒や空き巣、もっと恐ろしい犯罪者が通ってあなたの家の戸をノックしたりもする。しかし、往来は公共のものだから、よい人も悪い人もみな同じように使うことができる。いやいや、悪いと思っている人だって、道路の向こうの生活では家庭の良き夫であり、良き親であるのかもしれない。ネットだって、往来なのだからいろいろな人や情報が行き交っている。行き交う情報には良いとか、悪いとかいう色がついているわけではない。色を付けるのはそれを使う人間なのだ。

ただし、道路と比べて明らかに歴史の短い通路だから、違和感を覚えるだろうし、そもそも、道路に備わっている機能もまだ備わっていないだけなのかもしれない。しかし、道路であれば、公共が税金で整備してくれるのだが、ネットはまだ市民が金を出し合って整備や警備をする機能は備わっていないというのも事実だ。そういえば、日本の海外への接続の窓口になっている企業の業績が苦しいらしい。ただ乗りで利用だけはどんどん増えるが、ボランティアを兼ねて、ネットのインフラを守っている企業のサービスには誰も利用料金を払わないのが原因らしい。道路はただで利用できるがその整備はみんなの税金で賄われてる。そう考えてみると、そろそろ、民活などと言わずに税金でネットインフラの維持を考える時期なのかもしれない。そうでなければ、老朽化に耐えられず、いつネットが綱がらなくなるかもしれませんよ。

まあ、この文章もよく考えればネットに落ちているひとつの情報である。はたして、読者にとって宝になるのか、それともくだらないただのクズなのか? 恐ろしくて感想は聞く気にはなれない。