奥原先生

大野晋

私が勝手に師匠と呼ばせていただいている奥原先生はもうすでに故人です。もう遠い昔、学生のころ、すでに90歳近かった先生は非常にお元気で、野山を現役で歩かれていました。
その当時、県の植物誌の編纂の仕事で、先生は県内から集まる標本をひとつひとつ同定(押し花になっている標本を鑑定してそれがどういう植物であるのかを決めること)されていましたが、アルバイトを兼ねて標本を台紙に貼り付ける作業をしていた私に、「大野君、名前を鉛筆で書いておいてね」と同定前の標本のプレ同定の作業を通して、指導をしていただきました。
大学へは大抵、午後やってくるのですが、ご自宅のあるところからは必ず市内の女鳥羽川を橋を使わずに、川の中を直接渡って来られるので、いつも長靴姿がトレードマークでした。それでいて、時々、「どこそこで節分草が咲いたよ」とか、「どこそこにこういう珍しい植物を見つけたよ」という話をされるところを見ると、午前中は県内の野山を駆け巡っているのが常のようでした。

そういう先生ですから、若い誰よりも山道を歩くスピードは早く、慣れない学生だと置いていかれるくらいでした。

この話は、もう何回も何かの機会に書いたかもしれませんね。そんなことを思い出したのも、私もそろそろ、やりたかったことについて、何か残しておくべきかなと最近常に思っているからかもしれません。ゆえあって、生活のために生きていますが、自然の成り立ちについてじっくりと探求したかったなあとしみじみと思い返すことが多くなりました。もう大学院に入り直しても結果が見えない年齢になってきたせいかもしれません。

などといっても、学校を卒業して以来、プログラミングという抽象化とモデリングを繰り返して数年。その後、品質管理という人間の行動や問題の構造を紐解く仕事を10年以上、そして20年ほど経って、システムというものを一から勉強しなおした結果ですから、30年前の私には無理な仕事だったのかもしれません。今後、数年で少し考えていることをどこかに発表しようと思うここ数日です。