味の記憶

大野晋

その店は駅前のごみごみとした路地のそのまた路地にあった。通路が排水溝の蓋の上にしかなかったことを考えると、どうやら以前は商店街の裏側であったらしいことは想像できた。私が先輩に連れて行かれた当時、その店には店名が書かれた看板はなくて、破れた赤提灯が汚い何もかかれていない摺り硝子の扉の脇に吊るされているだけだった。そんな店であったのだが、店を訪れる客はみな、その店の名前を「ねこ」だと知っていた。いや、正しくはどんな字で書くのかは知らなかったから、Nekoであることを知っているだけだったのかもしれない。

仕事が終わると私たちはそんな路地の店の扉をすっと開けながら「空いてる?」とそっと入りたい人数を指で示すのが日課だった。運がよければ人数分の席が確保でき、運が悪ければ「空いてませーん」とおじさんに断られるのが常だった。ただし、入れたとしても、安心できず、焼き鳥の悔いが残っていなかったり、料理が切れていたりすることもざらにあった。そんな日はあっさりと、1本のビールに、いつもあるポテトフライを頼んでさらりと店を出るというのが当時の流儀だった。当時の駅前にはそんな店が何軒かあり、不思議な優先度で選びながら、店から店に飲み歩くと言うのが日課だったように記憶している。いま、駅前は再開発でそんな小汚い感じの店が生き残る余地は皆無になってしまった。大きな駅前ビルに入った小奇麗な店をぶらりと見ながら、私の身の丈にあっていた店がなくなってしまったのが少々物足りなく思えてならなかった。

別のある日、駅から離れた住宅地の中に引っ越している元は駅前にあった洋食屋を訪ねてみた。ここも再開発で閉店する際、小学校の近くでそのうち開店するから、という言葉を聞いていたが、その後、行方不明になっていた店だ。閉店して数ヵ月後、ひょんなことから裏道を歩いていた私は新築の住宅の一階にこの店の看板を見つけてうれしかったのをきのうのように思い出す。この店もあまり商売っ気はなくて、夜の営業は7時前にはとっとと終わってしまうから、なかなか立ち寄れない存在になっている。久々に寄って、いつものように、チキンサラダとマキ(オムライス)を注文する。出てきたチキンライスとは名ばかりのどう見てもチキンソテーのような料理を食べながら、そのガーリックの効いたドレッシングのかかった野菜を食べていたら、やたらと懐かしい気分がした。いつもの、慣れた味が記憶を呼び起こし、緊張した心をリラックスさせてくれる。これが家庭なら、母親の味と言うことになるのだろうし、通い慣れた店ならば常連の楽しみと言うことになるのだろう。

例えば、松本には学生時代から通った店がいくつかあり、春寂寥の歌詞とともにその味を懐かしむことになる。思い起こせばこんな懐かしくなる店がところどころにあり、それを再訪することが旅行の楽しみになっている。ただ、数年に数回しか立ち寄らない店だとしたら、私の味の記憶の旅はあと何回できるのだろうか? だんだんと、そんなことを考えるようになってきている。まあ、その前に、街の移り変わりの中で、消えてしまう店が多いのに、ひとり心を痛めるここ数日である。