新しいツーリズムについて

大野晋

今年も札幌に行ってきた。おもな目的はキタラでエリシュカを聴くこと。この分では毎年、札幌に来ることになるかも知れない。
少し早くついたので、すすきのから約十分の距離を路面電車に乗ってごとごとと行くことにした。ぐるっと市内の北東部をまわるコースを路面電車に乗って街を広く高い窓から眺めるとなかなかに興味深い。観光資源として、路面電車はもっと見直されるべきだと思う。できれば、もっと観光資源のあるところをまわってくれると定期観光バスよりも面白い存在になりそうだ。

キタラのコンサートは期待通りのでき。帰り道、地元のファンらしい人たちが「今日は良かったね」と言っていたのが少し引っかかったが、このレベルのコンサートを札幌でも聴けることがうらやましい。

翌日は野幌の森林公園に出かけたが、市内にこのような公園があることはうらやましい。ただし、公共交通手段がプアなのは何とかして欲しいが、まあ、その程度しか訪れる人がいないからこれだけの自然が守られるのかもしれないと思うと少し複雑な気分である。

さて、日を置いて、いま、信州に来ている。宿はいつもの定宿。ここは駐車場が無料で完備しているのがうれしい。高速道路の通行料が下がっても利用者自体は増えなかったそうな。まあ、燃料や宿泊料など、そのほかの費用もかかるから、通行料だけでは変わらないのだろうが、ふと、こんなことを考えた。

ツアーばかりの観光ではどこに行ったのかわからない。自分で動いて、自分で見つけて、自分で考えるから旅の魅力があるわけで、そういった意味で旅の魅力がここ数年失われてきてはいなかったか? 個人を受け入れる仕掛け、個人が旅をする仕掛け、旅の最中に発見を手助けする仕掛け、そんなものが抜けて、ツアーに依存したマスの施設ばかりが増えたような気がしてならない。その延長で、たとえば、以前は多かった松本市内を闊歩するニッカボッカの登山客が壊滅してしまっている現状を考えると、旅の余裕そのものが失われてしまっているような気がしてならない。

松本に来て、天候を見て、だめならその辺をハイキングして、また次回。私の若かった頃にはまだまだそういった余裕のある登山客が多かった。そういう意味で、見つける旅。考える旅をぜひ、ネオ・ツーリズムとして提案したい。時間をかける旅だからこそ、高速道路の通行料の値下げが効いてくるような気がするのだが。。。