ここそこにある境界

大野晋

お盆休み明けに、信州から、お盆休み前に予約を入れていたデラウェアが届いた。今年は、梅雨明け以降、天候不順が続いたために、なかなか収穫できず、例年だと8月初旬から出回り始める露地物が遅れて、8月の中旬も過ぎて下旬になってしまった。とはいえ、今年は甘みは今一つだけれど、風味が強い、おいしいぶどうになっていた。たぶん、今年のワインはおいしい。ぱちぱちに張りつめたぶどうを食べながらいろいろと考えた。

近年はワインツーリズムが注目されているらしく、専門家にとても多くのコメント依頼が入るらしい。そういえば、昨夜のテレビのニュース番組でも、明日の予定は「日本ワイン」だとどこかできいたキーワードが出てきていた。日本のワインだから日本ワインではなく、国税庁の拵えたハードルでは日本国内で収穫されたぶどうを使用して、日本国内で醸造したものを「日本ワイン」と名乗ってもいいと決められている。ところが、そこにいろいろな不思議な物語があることは先月までのお話しで述べてきたとおりである。

日本には「おらが村のぶどう」と「おらが村のワイン」の間に深い境界線が存在している。要するに、おらが村のワインは必ずしもおらが村のぶどうから作られていないということで、風景として見えるぶどう畑は実は今飲んでいるワインには必ずしもならないという事実があるという話だ。これを「観光ブドウ園」と称したが、まだまだ、観光ブドウ園のようなワインはたくさん存在している。まあ、さすがにぶどう畑も見当たらない神奈川県がワイン生産量日本一だから、日本で一番ブドウが採れているとは思わないだろうとタカをくくっていたら、近所のブドウ園のぶどうだと思ったというコメントがSNSでついて苦笑してしまった。実際に消費者は生産の現場から遠い所に住んでいる。ただし、ワインツーリズムとなると話は別で、さすがにブドウ畑がない場所では成り立たないだろうとは思うが、もしかするとびっくりの裏技が出てくるのかもしれない。

さて、最近、地方の中小都市にこじゃれた料理屋が増えたような印象がある。いずれも、地元の食材を使っていて、地元でしか食べられない料理が食べられたりする。いいことばかりかと思っていたら、松本の長く通っていた蕎麦やが閉店していた。大きな水車が目印の蕎麦やだったが、一時は店に入りきれないくらいの客でにぎわっていたが最近は地元客の嗜好が蕎麦からうどんやラーメンに移ったためか、店舗が維持できなかったようだ。店が大きかったのが災いしたのかもしれない。

大きな店、小さな店、残るもの、消え去るもの、そこにある境界の不思議に思いを寄せてみる。そろそろ、秋の夜長となる。