しもた屋之噺(100)

杉山洋一

3月半ばにミラノへ戻り、まだ冷込みが厳しいのに驚きました。雪が降ったばかりで朝晩は零下2℃まで下がっていたかと思います。普段ならずっと春めいている頃ですけれども、今年は寒の緩みがとても遅く、初めての芝刈りをつい数日前に終えたところです。庭はそのまま向かいの中学校の校庭に面していて、その間を腰丈ほどの目の粗い形ばかりの柵が並んでいるだけで、普通に会話ができれば、校庭からボールも飛んできますし、息子など学校に上がる前まで、昼休みに校庭で遊んでいる妙齢を集めて踊りを披露しては、頬にキスを貰って喜んでいました。

毎日、食卓の向こうに体育の授業を眺めるのも馴れましたが、当初から気になっていたことがあって、何時も女の先生二人を連れてのんびり校庭を散歩している、一風変わった男の子がいたことです。2年前にその生徒も入替わって、去年から女の子が、同じように先生を二人連れて校庭を散歩しています。3人で校庭を歩いていることもあれば、体育の授業で他の生徒と一緒に校庭にでてきて、何となく一緒にいることもあります。近くを通りかかると、女の子はずっと一人で呟きつづけていて、自閉症か何かなのかなと思っていました。先生たちは彼女にさかんに話しかけていて、根気強いし、とても親切で優しいように見えました。毎日のことだから、大変だろうなと思いましたが、周りで、音楽では食べられないから学校の補助教員をしている友人が過去に何人かいましたから、なるほどこういうことなのか、と思ったりもしました。何より、イタリアでは精神障害児も同じ学校に通えるのは、当人にとっても、周りの子供にとってもお互い良いことに違いないと感心していたのです。

大阪でみさとちゃんのオペラの最後の公演が終わってミラノに戻ると、ペソンの新作の合唱曲の楽譜と一緒に日本から小包が届いていました。国立病院で神経内科で臨床研究している古くからの友人Hさんが、こんな本を送ってくれたのです。
『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(大熊一夫著 岩波書店刊)

特に興味を持ったことがなかったので、イタリアで精神病院が廃止されていたことすら知りませんでした。バールでお茶を飲んでも、ずっと呟きながらうろうろと徘徊する男性がいたり、スーパーに行けば、棚に品物を並べている女店員に、明るく纏わりつく男性がいたり、イタリアには妙な人種が多いなとは思っていましたが、それに対して疑問も抱かなかったのも不思議です。

最近はテレビも見なくなりましたが、少なくとも暫く前までは、国営放送が毎週生放送していた「誰かしりませんか?Chi l’ha visto」という番組があって、つまり人探しの番組です。司会者がファイルを紹介すると、視聴者がいつどこで見かけた、どういう状況だったか、現在どうしている、など直接電話やファクスでリアルタイムに放送局に連絡するのです。長く続く番組のようで、相当数の行方不明者が見つかっているようでした。ただ失踪状況を聞いていて、重度の欝病を患って、とか、精神障害がある、痴呆が進んで、などの理由が多いのに驚きました。

大熊さんの本を読んで思い出したのは、こんな他愛ない身の回りの毎日の出来事でしょうか。もっとも、イタリアで生活する人間が読んでも仕方がないわけで、ぜひ日本のみなさんにたくさん読んでもらい、意見を交わして欲しいと切望します。ただ、お前の意見はどうなのかと問われると、言葉に窮するのが正直なところです。それは、精神病院を廃止し、普通の生活のなかへ溶け込ませればよいという単純な図式では、結局解決しない気がするからです。

日本とイタリアの文化の違い、大きく言えば、ヨーロッパ人と日本人との生活の違いも、大いに関わってくるのではないでしょうか。ここ数ヶ月日本に長期滞在したこともあって、自分自身この問題をいつも心に留めていたところでした。海外に住み始めた当初なら、もっとイタリアの生活を踏まえて日本はこうあるべき、と断定的に考えられたかとも思いますが、15年以上イタリアにいると、イタリアはイタリアであって日本は日本、と無意識に分けて考えているのに気がつきます。

音楽でも同じで、イタリアやヨーロッパと日本で、音楽のあり方がもし違ったとしても、日本は全てヨーロッパ風にすべきかどうか。大体ヨーロッパと言っても、これだけ歴史や文化、言葉も違って、生活スタイルが違なるのに、日本はどれを取ってスタンダード化してゆけるというのか。そんなことを漠と考えていたところでした。ただ、皆が自分の信じることを誠実に続けてゆけば、後100年くらい経つと日本における西洋文化の日本文化化も、纏まってくるかと思っていますが、その頃にまだ日本だの、日本文化と呼ばれるものが存在するかどうかは分かりません。

現在のところ、日本で死刑制度が8割の支持を受けていたり、脳死判定基準やそれに纏わる臓器移植の基準など、日本とヨーロッパ、場合によってはアメリカも含め、同じ土俵では決められないことも沢山あると思います。捕鯨問題にしてもその良い例かも知れません。一つの物差しでこれだけ幅広い文化の差を測るのは、やはり無理があるのではないでしょうか。日本には日本の良い所があるのだし、ヨーロッパにはヨーロッパの長所もある。お互いの長所を繋いでゆけばよいではないか、という絵に描いた餅を、40歳になってまで食べようとは思わないのです。

お互いに迷惑をかけず、思いやること、相手を観察し慮ることは、日本人の最も誇れる優れた機知だと思うし、故に現在の日本の発展が成し遂げられたのは疑うところがありません。日本の通勤電車で携帯電話は鳴らず、電車も定刻通りに機能し、驚くほどの精度を持って生活が回っているのは、お互いが暮らしやすいよう、最大限の配慮に心を尽くして生活しているからだとおもいます。

満員電車で誤って妙齢の後ろなどに回ってしまい、迷惑をかけたと誤解を受けぬよう、片手をつり革にかけ、余った手で必死に大江健三郎を読んだりするのも、ささやかな回りへの配慮かも知れないし、駅には、車内で物を食べたり大音量で音楽を聴くといった迷惑行為をたしなめたり、リュックを前に抱えることを推奨する、啓蒙ポスターが目立ちます。電車への飛び込み自殺があると、他人の迷惑を顧みないで迷惑なとため息が漏れ、お急ぎの所ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません、と謝罪のアナウンスが入ります。ここまで頑なになってお互い暮らさなくてもと思うのは、多分普段東京に暮らしていないからだと思います。

イタリアでも、新幹線にあたるユーロスター辺りになると、他の乗客に迷惑になるので携帯電話の呼出し音を消すようアナウンスが入りますが、それでわざわざ音を消す人は、殆どいないかも知れません。消音するような配慮のある人は始めから消音してあるし、消音しないような人は、アナウンスがあっても消音しないように見えます。他人を認める、リスペクトする表現方法は、まず他人に介入しないこと、邪魔をしないこと、大なり小なりヨーロッパ人はそう思っていると思います。これは日本人の美学と或る意味正反対にすらなります。優しさがないわけでも思いやりがないわけではありませんし、寧ろ反対かも知れない。ただ自分はあくまでも自分であって、他人は他人として認識する、文化の違いのように感じています。

イタリアに関して言えば、件のスーパーで見かけた陽気な精神障害者が、纏わりついていた妙齢の胸に手を持って行ったので、流石に気になって様子を見ていましたら、彼女は態度は悠然としたもので、物怖じせずにやんわりやり過ごして、構わず話し相手をしつつ、仕事を続けているのに感嘆しました。そういう国民性の違いもあると思います。

死刑制度や脳死判定に際しては、日本人とヨーロッパ人の死生観、宗教観の違いは決定的です。恥じて腹を割る美学は、基本的に西欧には存在しなかったと思うし、神風特攻隊が生まれる土壌など、恐らく想像がつかないものだったでしょう。現にヨーロッパ各国で「カミカゼ」はそのまま特攻攻撃を意味する言葉となり、現在では中東情勢を伝えるニュースなどで、すっかり使用頻度の高い単語になってしまいました。

無宗教の日本人でもお墓に行ったら手を併せるのと同じように、無宗教のイタリア人でも教会に入れば十字を切ります。ですから、周りのイタリア人が死刑制度の話をしているのを聞くと、自分が他人の生命に手を下せるわけがないじゃないか、と何の疑念もなく当然のように話します。自分は他人の死に関係したくない、と突っぱねているようにすら聞こえます。それはやはり、無意識にせよ、どこかにキリスト教観が染付いているからでしょうし、他人への尊厳の表し方の違いかも知れません。日本では、刑の執行に於ける刑務官の精神的負担について盛んに話されていますが(これは至極当然だと思いますが)、ここで彼らが思う死刑執行に対する拒否反応は、それよりずっと前の段階なのです。もっと無意識なものだとも言えるし、現在の中東諸国を後進国だから野蛮、と一からげにしてしまういるような猥雑さも、ほんの少し混じっているかも知れない。家族関係にしてもイタリアとイギリスではまるで違うだろうし、安楽死が認められているオランダとイタリアでは、死生観も人間性もまるで違います。ヨーロッパでもこれだけ違うのですから、日本とヨーロッパで文化違うのは自然だと認めるべきかも知れません。

ただ思うのは、こちらで死刑制度が野蛮だと言っても、暫く前までは当然のように死刑を執行していたのだし、無数の戦争で無数の殺戮を繰り返して現在に至ると考えれば、この間まで存在していた精神病院も、時代の大きな流れに沿って変革してゆけるものかも知れません。日本であれ、どこであれ、精神障害をもつ人々が、少しでも暮らしやすい環境のなかに暮らせるようになることを願いますが、それには、もっとずっと大きな単位での意識変革が必要なのかもしれないし、逆に、そうした大きな意識変革のためにこそ、こうした小さな個々の変革の積み重ねが必要なのかもしれない。

ただ、そうして世界中が一つのスタンダードに纏められてゆくべきものかどうかすら、今の自分には分かりません。誰でも貧しい人を助けようと言いつつ、少しでも良いもので安いものがあれば買ってしまう。昔500円でしか買えなかったものが、今は100円で買えたりする。技術の進歩がそれを助けているとはいえ、恐らくその100円のために働かされているであろう、膨大な労働力や彼らの生活については考えません。日本国内かもしれないし、海外かも知れないけれど、そんなことに頭を悩ましていたら、到底暮らしてゆけません。安いものばかりではありません。高級品だって、イタリアのブランドメーカーが、国内外の中国人労働者に不眠不休で裁縫させ、そこまでなら殆ど何の価値すらない値段で取引されていたのが、ブランド名を縫付けた途端、高級「イタリアン・ファッション」に変貌してしまう。

そんな文化を何ら疑問を持たずに受け入れている我々が、気軽に弱者を助けると言える立場にあるのか、正直分からなくなってしまうのです。誰もが痛みを感じないで生きることの不可能性を、最近頓に感じます。弱者を助ければ、より強者が強くなる。もしかしたら格差ははやり縮まらないようにも思いますし、格差をなくそうとすればするほど、誤った戦争に戻ってしまうような危惧すら薄く覚えます。

さて、そろそろ布団から抜け出して、授業に出かけなければ。目の前では一時限目のサッカーの授業で子供たちが楽しそうに駆け回っています。そこでは意外に女の子が強かったりするのが見ていて面白いところです。                    

(3月27日ミラノにて)