しもた屋之噺(102)

杉山洋一

ミラノのスカラ座劇場のほの暗い控室は、フィーロドランマーティチ通りに面した2階にあって、深紅の猫足の長椅子に身体を横たえ目を閉じていると、ちょうど通用口の真上辺りだからか、外から聞こえてくる演奏者の話し声が耳に心地よく、薄い眠りを誘います。あまり広くない控室には、年代物の大きな仕事机と猫足椅子、そしてこのモケット張りの旧い長椅子に、スタンウェイのアップライトピアノが置かれていて、通りに面し大きな半月の明かり窓が開けられています。よく磨きこまれた洗面台の鏡には、スカラ座の印章が彫りこまれていました。

今月はしばらくスカラ座アカデミーの現代アンサンブルと仕事をしていて、昨日スカラ座での本番が終わったところです。リドット・トスカニーニと呼ばれる小ホールのちょうど真中に、品がいいとはいえない黄金のトスカニーニの像がプッチーニと相対して鎮座していて、その傍らのボックス席に潜り込み、次の舞台の大道具が組み立てられる様子を眺めつつ出番を待っているとそれは面白くて、子供のように心を躍らせ見入ってしまいました。

昼過ぎのリハーサルが終り、劇場の食堂で音楽部長のダニエレと食事をとっていると、同じく昼休みになったところなのか、周りは練習着ののバレエダンサーに埋め尽くされて、バレエが大好きな息子が頭を過ぎり、しばらくぼんやり彼らを眺めていました。

「バレエが美しいことは確かに認めるけれど、彼らのストイックな人生は人間らしさとは程遠いものだから」。
傍らでダニエレが呟きました。
「自分の子供にはやらせたいとは思わないな。週末も正月もお盆もクリスマスもなにもない。他の連中が休んでいる間も、毎日劇場に来ては稽古をする。しなければ身体が駄目になってしまうからね。その上、スカラに来るようなダンサーは、みな子供のころから競争のストレスに晒されているのだし。いずれにしても、音楽家とは比べ物にならない大変な職業さ」。

今月練習に通っていたスカラ座アカデミーは、スカラ座からほんの少し下ったヴェッキア・ミラノと呼ばれる旧市街の一角、サンタ・マルタ通りにあって、何番教室、何某教室といかめしい古い看板が架けられているので、昔は何か別の学舎だったに違いありません。

廊下を進むとあちこちの教室の扉が開け放してあり、さまざまな授業風景が垣間見られるのも愉快な経験でした。毎朝ずっとマネキンの頭部と真剣に向合っているカツラのクラスから、ライブ録音専門技師のクラス、化粧台の前で白塗りされるメーキャップ・クラス、衣装を作るクラス、とヴァラエティに富んでいます。当然、オペラアリアのレッスンも聴こえてきますし、バレエや児童合唱のクラスもあるそうですから、どこかに大道具や小道具クラスもあるのでしょう。練習風景を撮りに来る写真科学生もいれば、本番も録音技師クラスの実施授業として、見事に録音されていました。

オペラという総合舞台芸術を学ぶアカデミーに、何故現代音楽アンサンブルがあるのか不思議に思いましたが、微塵も無駄には使われていない印象を受けました。スカラ座という晴舞台が与えられれば、演奏学生も奮起するでしょうし、文化省の学校改革、教育カリキュラムに縛られた国立音楽院では対応しきれない、現実のニーズに則した学校体系が実現できるのでしょう。

ちょうど去年の春、大凡同じ世代の音大オーケストラと東京でご一緒したのを思い出しつつ、また違う土壌で音楽を学ぶ若者と演奏会を共有できたのは刺激的で、自らの未熟さを改めて痛感する上でも、実に有意義な時間でした。

その昔は、研鑽を積み重ねて自分の表現に到達できるものと信じて疑わなかったものですが、或るときから、教えられて学ぶことと、自分が自ら表現したいこと、つまり自分の意志で思考することは、平行に伸び続ける一対の鉄路のようなものではないかと考えるようになりました。教えられて学んだことだけでも脱輪してしまうし、自分の表現だけ追及しても脱輪してしまうので、二本のレールに渡された車輪のバランスをとりつつ、学んだことから自分の表現を見出そうとする推進力、表現したいことを実現する技術を磨くために学ぼうとする推進力、この二つの力によって前に進むことが出来るのではないか、とそんな気がしています。

先日1年半ほど前から一緒に勉強しているMより、チューリッヒ音大マスター入試が、及第点で通過したものの席が空かず次点に終わってしまった、この間の自らの成長は実感できるけれども不安に感じることも増えてきていて、今さらながら自分の個性は何なのか考えてしまうというメールを受け取り、2本のレールの話を思い出したところです。

旧市立のエミリオの指揮クラスが閉められ、放出された生徒のため寺小屋を始めて2年が過ぎましたが、耳の基礎訓練のクラスのため旧市立には今年も細々と通いました。2年前にエミリオを解雇した学長は5月をもって解雇されました。
「とにかく今はお前が何らかの形で名前を残していることが大切だ。この状況下では今すぐにどうにもしようがないが、きっと将来機会が見つかるかもしれない。それまでとにかく粘ってくれないか」。
疲弊した学校再建を任されたアンドレアからメールが届きました。

Mと同じように不安にかられながら昔エミリオの下で学んでいた頃と、状況は大差ないのかも知れません。頼るものなど皆無で、果たして道が正しいかすら判然としないまま、乳白色に煙る深い朝霧のなか、風に揺れるへろへろの高い吊橋を、小刻みに震えつつ、今も毎日渡り続けているのですから。

(5月31日ミラノにて)