しもた屋之噺(145)

杉山洋一

羽田空港の深夜のラウンジで、雨に濡れた滑走路を眺めながら書いています。昨日の朝羽田に着いたばかりですぐにトンボ帰りするのですが、まるで随分長く東京にいたような心地がしているのは、濃密な時間を過ごした証でしょう。今朝は期日前投票を世田谷区役所で済ませ、打ち合わせの後で恩師のお別れの会に出かけ、少し涙腺が緩んだからと味とめに両親を誘って久々の焼酎を舐めつつ、メジナとイサキの刺身に舌鼓をうちました。時差ボケと焼酎で京急電車で寝込み、今こうして目の前で闇の中を飛び立つ飛行機を眺めています。

三善先生の合唱曲をききながら、先生のピアノの手触りを思い出し、先生が愛したシャランの和声課題を思い、それを大喜びで歌うミラノの大学生の顔を一人一人思い出し、三善先生がご覧になったら、どんなに大笑いされるかと考えています。
会がひけて奥様にご挨拶に伺うと、想いが混濁して言葉が浮かばず口ごもったままで、中学に上がりたての頃、初めて阿佐ヶ谷のお宅に上がった時と、まるで同じでした。自分がそこにいることすらおこがましく思えて、一番後ろの席に小さくなっていて、会が終わると真っ先に会場を後に飛び出しました。日本にいない自分は、こんな時いつもどこかに後ろめたい気持ちに駆られて、責を果たさない、不誠実な自分にどう対峙してよいか分からなくなります。外は雨がしたたか降っていて、濡れねずみになりながら地下鉄まで辿り着いたとき、どうしても奥様にご挨拶だけしたくて、垣ケ原さんにお電話したのでした。

会の最中、由紀子さんが普通の演奏会のように明るく拍手してほしい、先生がホールのそこここを飛び回っているに違いないからと静かに仰られたとき、背骨がじんと痺れる気がしました。果たして自分は音楽と誠実に向き合っているのかしらと、てらてら揺れる目の前の緑色の誘導灯を、改めてうらめしく眺めています。

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 1月某日 コリコ駅前の喫茶店にて
4時に起床し、息子と連れ立ってドゥビーノの駅まで歩く。二人とも無言で、冷気を切るように歩く。見上げると満天の星空。無数の星が天の川から溢れて空一杯を埋め尽くす星の洪水。ふるえるような鳥肌が立つ。

 1月某日 自宅にて
アルツハイマーが発症してからのウテルモーレンの自画像を何度となく見なおしているのは、ドナトーニが脳梗塞でたおれた時になぐり書きした、プロムの原稿とどこかが似ているから。一見するとドナトーニは動で、ウテルモーレンは静だが、殆ど自分の顔を認識できないなかで、鼻だけすがるように美しく浮き出し、頭に相当する部分には裂け目が走る自画像が内包する、壮絶なエネルギーに圧倒される。子供に帰ってゆくのではなく、深い霧の中で、自らの存在が外側から消滅してゆく。最後に霧の中から少しだけ顔を覗かせたのは、鼻だった。

 1月某日 自宅にて
繰り返し「大喪の儀」のヴィデオを見返して、儀中詠われる、生きた「誄歌」に耳を傾け、何度となく調弦に手を入れる。盤渉調のひびきを、どこまで際立たせられるか、ぎりぎりのところを探す。「誄歌」の和琴は、思い切ってそのまま使う。当初、入れ子構造を何度も重ねてみようと思ったが、結局、「誄歌」を何となしに辿れるような、くねた蔓を描くことにして、歌詞をそのまま遡行する。
そう決めると、面白いことに、ベトナムで使っていた奇妙な漢字が幾つか頭に浮かんでくる。ベトナムの国字は、少し煩わし過ぎるくらい、蔓が躰にへばりついたような奇妙な印象があるのは、単に先入観による思い込みに違いないが、どこか伎楽面の派手さに通じる気もする。

 1月某日 自宅にて
仕事の帰りに14番の路面電車に乗ると、酔っ払いが妙齢に絡んでいたので、ちょうど近くに座っていた気のきかなそうな若者に立ってもらい、「おじさんここが空きましたよ」と大袈裟に云うと、素直に「悪いねえ」と言って座ったので、痴漢にしては聞き分けがよいと感心。妙齢もイタリアでは負けていない。傘をつきたて、「これ以上近づくと刺すわよ」と凄む。

 1月某日 音楽院にて
笹久保さんが作った映画が届いた。これらは演奏しながら浮かぶ映像を定着したもの、という説明に共感を覚える。
音楽の演奏に際して、無意識に何か刺激や拠り所を欲していることに気づく。それを作為的にやると品位を貶める気がするが、指揮者など、そうした映像による集団心理のイメージ操作で、音楽を豊かする最たるもの。実は昔はそんな安っぽいやり方と馬鹿にしていたが、フリッチャイが、文字通り頭のなかにある映像を必死に音にしている姿をみて、自らを恥じた。

 1月某日 自宅にて
亡くなった恩師の誕生日。毎年、「おめでとうございます」と簡単なファクスをしたためてお送りしていたので、今日もふと書きそうになった。もしかしたら、ファクスに紙が吸い込まれていって、そのまま彼の手許に届くかもしれない、と思う。

 1月某日 ミラノへの車中にて
夜明け前、無人のボローニャを駅に向って歩くのは、甚だ心地がよい。昨日は打合せの合間に、アッバードが安置されているサント・ステファノを訪れる時間があった。柩は暖房用の紅い電灯に照らし出されていて、思いがけず小さくみえた。花が一輪載せてあり、薄くレクイエムがかかっている。記帳を終えて中に入ると、誰もが無言で柩をじっと見つめていた。買い物カゴやスーパーの袋を小脇に抱えた、近所の老婦人たちが立ち尽くして居て、立ち振舞いがとても美しく見えた。

 1月某日 三軒茶屋にて
羽田についてメールを開くと、ミラノの市立音楽院が、市長により「クラウディオ・アッバード音楽院」と命名されたと院長より一斉メールが届く。みんな順番に死んでゆき、思いの外素早くそれぞれの死も既成事実として受け容れられて、歴史という膨大なデータベースに仕舞われる。

先日、息子は参加したいと言って聞かなかったコンクールの本番で派手につかえて、酷い結果になったとか。終わった直後は泣いていたらしいが、すぐに「猿も木から落ちる」と言ったものだから、母親からこっぴどく叱られた。彼はまた「12月の色は何だ」というクイズを自分で考えて得意になっている。答えは「青色」。「12月」を漢字で書けば「青」になる。

(1月30日パリ行きの機中にて)