しもた屋之噺(166)

杉山洋一

庭のつる草は一気に紅葉し、日一日ごとに風景が変化してゆきます。今年は秋の訪れも、深い霧が立つのも例年より早く感じられます。息子が午後からリハーサルなので、正午ごろ小学校に迎えにゆき、厳めしい正面玄関を入ってだだ広いホールで息子を待っていると、壁に嵌め込まれた石碑に目が留まりました。

「ナザリオ・サウロ」海軍大尉 潜水艦プルリーノ搭乗
出生地 カポディストリア(現スロヴェニア領コペル)

オーストリア帝国への戦争布告より間も無く、自らの出生地を自らの手で勝取り、かの地のイタリア奪還の渇求に遵い、自身の熱意と勇気、能力を捧げるべく、我々の旗の下へ志願した。
身の危険は明白だったにも関わらず、数多くの困難なる海軍任務に果敢に参加し、実践的地理の知識と、常に弛まぬ剛毅、怯まぬ魂を見せ、危険を顧みず目覚しい活躍を為し遂げた。
後に投獄され、彼を待ち受ける運命が詳らかになっても、最期の瞬間まで驚くほど沈着な態度を崩さず、死刑執行人を前に繰返し力強く「イタリア万歳」の雄叫びを上げた。祖国への最も高邁な愛の無比の規範として、真に高貴なる魂を放った。

アルト・アドリアティコ
1915年5月23日から1916年8月10日

ファシスト時代のレスピーギやカセルラを敬遠するイタリア人は未だにいるのに比べ、彼らより余程ファシズムに浸かっていたダヌンツィオはそこまで煙たがられないのが不思議でした。

ムッソリーニ時代のファシズム建築も、イタリア人に愛され生活に溶け込んでいます。かく云う自分も、ファシズムは嫌悪しますが街頭で独特のファシズム建築を見かけると目を奪われます。ミラノの中央駅などその筆頭ですけれども、ファシズムの意向が反映されていても、別物だと考えています。息子が通う市立ナザリオ・サウロ小学校も、少し厳めしい造りの典型的ファシズム建築で、30年代に建てられました。

ナザリオ・サウロは民族統一運動に於いて、現スロヴァニア領イストリアをオーストリア・ハンガリー帝国軍から奪還すべく闘ったイタリア王国海軍の英雄で、1916年7月31日未明にヴェネチアからフィウーメに向かう途中、載っていたプルリーノ号が座礁し、夜明けに自力で船でイタリアを目指したものの、オーストリア・ハンガリー軍に捕まり、軍法会議で反逆罪により処刑されました。
彼は当時オーストリア領イストリア生まれで、本来オーストリア・ハンガリー帝国軍に加わりイタリアと闘うべき立場にありました。
碑文の最後の日付はそれぞれ、イタリアがロンドン条約後、連合国軍に加わりオーストリア・ハンガリーに宣戦布告した日と、サウロが絞首刑に処された日付けです。

ファシズム時代、イタリアは第二次民族統一運動と称し、エチオピアやアルバニア、クロアチア、ギリシャなどを次々と占領し併合したので、国威発揚として20年ほど前に斃れた第一次民族統一運動の英雄の名が小学校に冠されたのは、想像に難くありません。尤も、碑文に興味を持つ人など皆無で、石碑は磨かれるどころか、無神経に無数に貼紙でもしてあったらしく、日焼けしたテープの剥がした跡が散見されるのが印象的でした。
この100年前の碑文が妙に身近に感じられるような、えも言われぬ当惑をどう表現したものかと考え込んでしまいました。

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 10月某日 自宅
悠治さん曰く、先月神戸できいたセイシャスの面白さは、ソレルやスカルラッティのように校訂されていないところだと云う。校訂は様々な矛盾を解決させて補完する作業だから、どんな善意を持って校訂をしても妙に整理されてしまうのは仕方がない。

先日録音したガスリーニの手稿にも、ほぼ間違いないと思われる書き損じも幾つかあったが、ツェルボーニのBは一切、手を加えてはいけないと繰返した。間違いとして認識した上で、楽譜を変更すべきかどうか。シューベルトの矛盾だらけのアーティキュレーションを思い出した。
インターネットで、悠治さんが昔弾いたショパンのバラード4番を聴く。声部が分離していて、こよりが生まれないので、和音が充分に空間を満たす。饒舌だが吶々とした印象。流れがあって流れない。バラードがマズルカのように響く。最後に拍手が入っていて、演奏会の実況録音と知る。

 10月某日 自宅
ドナトーニのCDが昨年度アマデウス誌のベストCDに選ばれたねと、ソルビアティからメールが届く。彼から頼まれた2月のミラノの国立音楽院オーケストラのプログラムは、「火の鳥」とドナトーニの「In Cauda IV “Fire”」になった。「火」というテーマで揃えると云う。「火の鳥」のどの版を使うか少し悩んで、結局19年版とする。11年版の方が好だが、学生も弾くし平板な方が良いだろう。

45年版は特にフィナーレ最後の金管群の音型が有名だが、11年版と19年版を比較すると、19年版の一等最初の冒頭の木管群からして、元来スタッカートだった部分を丁寧に休符に書き換え、自動的に輪郭が浮き上がるよう留意してある。
25年に録音された彼自身の指揮による演奏では、19年版を使用していながら、フィナーレの金管群は45年版のように切らせている。

作曲家の意識していた音楽を実現するのが正しい演奏法だとすれば、音は区切るべきだろうが、子供の頃から刷り込まれてきた印象が強すぎて、どうもしっくりこない。こういう場合、何を基準に演奏するのが誠実な演奏法なのだろう。
楽譜を読み込めば変ってくるに違いないが、作曲者だって長年生きていれば趣味は変る、とか余計な如何わしい思いが頭を擡げるのがいけない。
自分が責任を持てるだけの勉強をして、その責を全うすればよい、と言うは易し。

ドナトーニの「Fire」は、「Esa」の下敷きになった作品だから、楽譜のあちこちに「Esa」の断片が散見されて胸が苦しくなる。今読み返すと「Prom」で殴り書きされた判読不可能の和音の幾つかは、「Fire」の引用に見えなくもなくて、切なさが募る
彼自身が完成させた最後のオーケストラ作品が「Fire」で、ショパンの葬送行進曲の引用で終る。人生の最後を一切高揚させず、インベーダーゲームのGame Overの電子音のように、諧謔的に死を見つめる達観した人生観。

 10月某日 自宅
愚息が今月劇場の児童合唱で忙しいので、小学校の先生たちからきつく勉強のサポートをするように仰せつかる。先昨日、早朝五時から宿題をみる。星はガスが燃えていると説明しても、自分で説明させると、星は岩で出来ていて太陽の力で燃えていると繰返す。ドリル方式ではなく、全て質疑応答なので、自分の言葉で説明しなければならない。
家が電磁調理器なので、ガスで火がつくイメージが湧かないらしい。火を灯したろうそくをたずさえ暗がりの庭に出て、揺らぐ炎を家の中から眺めてもらい「これが星みたいなもの」と言うと、少し納得する。物質を燃やして光と熱を出す。真っ暗な中で光を発する様子は分かり易いし触れば熱い。

別の宿題。古代ギリシャの神殿にはご神体に加えて、街の有力人物の「灰」が金箱に詰められ置かれていた、という記述。イタリア語で「灰」は同時に「遺灰」を表す。
話していて、先ず物質を燃やすと灰になるという感覚が息子にないことに愕く。庭で落ち葉かきをしても焚き火はいけないので、それを燃やしたらどうなると思うか尋ねても、枝が残るくらいの想像しかできない。灰になるという発想自体が皆無なので、日本語でもイタリア語でも「灰」の言葉がわからない。

暖炉の火に薪をくべたらどうなるかと尋ねると、炭になると云う。それではその炭をもっと燃やしたらどうなるかと聞くと、火が弱くなるから新しい薪をくべるので、見えないから分からないと云う。尤もな意見ではある。子供の頃、落ち葉かきの後で、一斗缶で焚き火をした残灰で作る焼芋が楽しみだったので、炭状の木片など早く燃え尽きてと思いながら眺めていた。

人を燃やすと骨が残り、もっと燃やせばそれも粉状になる。それがこの場合の灰。
古代ギリシャは多神教で、永遠の魂も輪廻転生も我々の仏教などと同じように信じていた。遺体を物質的に変化させて灰に出来るのは、お前が生れ変わった時に別の生物か別の人間になるからさ。
一神教のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、どれも同じ宗教から生まれた兄弟みたいなものだが、死んで暫く経つと元の身体に戻って生き返って最後の審判を受けなければいけない。亡骸を灰にしてしまうと生き返る先がなくなるから持っての外ということになる。
周りはキリスト教かイスラム教の友達ばかりだから、遺灰を金箱に詰める行為が、今の彼らにとって特殊な習慣だと理解しなければいけないよ。

 10月某日 自宅
昼にセレーナに会ったとき、彼女のヴァイオリンの生徒でルーマニアの男の子の話を聞く。父親はトラック運転手、母親は事務所の清掃婦という家庭で育ち、中学一年生。先日も新しく貸したヴァイオリンを、翌週にはすっかり壊してレッスンに持ってきたと云う。何でもソファーの上に置いていて、弟が間違って坐ってしまったらしい。今まで弓も何本折ったか数え切れない程で、一番安いカーボン弓しか買わないことになった。

ただ、音楽の才能は豊かで、夏になると親の帰郷で一緒にブカレストに戻り、向こうの流しの音楽家に長らく伝統音楽も習っている。耳にしたものはさらりと弾けるが、作品を掘下げるのは苦手で譜読みも遅い。
「なんかね、どうしようもないの」と彼女は笑う。
ルーマニア人には独特の音楽の才能があるとセレーナは力説した。彼女もずっとルーマニア人のヴァイオリンニストに習って居たので、良く分かるそうだ。

同じラテン民族だけれど、イタリア人とルーマニア人で文化的DNAの共通項はあるかと尋ねると、全くないと即答した。

 10月某日 自宅
洗面所で水を流すと、しばしば「Papà」と息子の声が聴こえる気がする。今は階下で寝ているのでどうもしないが、独りのときこの空耳が聴くと、どきりとする。

先日会ったとき、CがブルックナーはAutoglorificazione だから嫌いと云っていたのが妙に反芻される。西洋音楽、少なくともクラシック音楽はどれもAutoglorificazione ではないかと無意識に脳裏のどこかが反駁する。云ってしまえば西洋の宗教も、総じてautoglorificazione ではないか。

ミラノに住み始めて20年間、常に薄く感じ続けてきた、少し居心地の悪い感じを表す言葉は、正にこれだった、と日記に書こうとして、日本語の訳語が思いつかない。英語でも仏語でも伊語でも西語でも、居心地の悪さは等しく分かるけれど、日本語で言い換えられない。我々に欠けた皮膚感覚。欠如しているから居心地が悪いのだろう。今や理解は出来るのは、20年の生活で体内に蓄積された経験が理解させる後天的知識ゆえ。
Glorificazioneの訳語は「賛美」とか「至福」だから、直訳すれば「自己賛美」とか「自己賞賛」となる筈だが、居心地の悪さとは何かが違う。「燦燦と輝く自己高揚感」に近いが、もう少し「自己崇拝」に近い、官能的な響き。

昨晩、ネッティ作品を聴きに聖マウリツィオ教会に自転車を走らせる。
祭壇の少し上にアラベスク文様の透し窓があって、その少し上から天井までは壁はすっぽり抜けていて、あちら側の部屋の天井画が犇く姿が垣間見える。果たして祭壇の裏には極めて美しく装飾された空間が広がっていて、合唱席になっている。
その昔、透し窓の向うから聴こえる合唱に信者は何を思い、透し窓のこちらで歌う歌手や神父は何を思ったか。「告解」つまり懺悔と同じく、矛盾や虚を互いに見ない。かかる暗黙の了解がなければ、宗教は成立しようがない。
その一線を自ら踏み越えられるかどうかで、宗教心は測られるのか。

兎も角その天上のような空間で、内省的なネッティを聴く。街頭の騒音が影のように遠く、透かし窓の向こうから幽かに聞こえる。特殊奏法だけで書かれた禁欲的な音楽に、この空間でじっと耳を傾けていると何とも云えない気分になった。何故か立ち昇る怪しげな宗教的匂い。

 10月某日 自宅
アメリカ人留学生たちをキリスト教大で教えた後、机に向かって大石君の為サックス作品の素材を作っていると、どこか後ろめたいような心地がするのは、彼女たちが余りに素直だからか。

夜半の墓地のブルース。黒人霊歌が少しずつ奈落の底に落ち、宙に浮かんでいた無数の物質は少しずつ姿を顕わにする。

(10月30日 ミラノにて)