しもた屋之噺(71)

杉山洋一

冬時間に戻ると、途端に季節が突き抜けてゆく気がします。ヨーロッパの晩秋というと日本より深い闇の印象があるのは、街のネオンが少ないからかでしょうか。イタリアでネオンの目立つ街を思い出すと、トリノの寂しい街角ばかりが脳裏に浮かびます。トリノは寂れた街ではないのですが、夜、それも今日のように雨がずっと打ち続けている夜に訪れると、へろへろのピンクや緑色のイルミネーションが妙に悲しげに見えるのが不思議です。
今月中旬のある夜。レッジョ・エミリアのオペラの本番が終わり、ホテルでシャワーを浴びたあと、0時の鐘の音をドームの階段に座り、一人聞いていました。本番の後に皆で騒ぎたい方でもないので、こうして何を考えるでもなく一人で居るのが好きなのです。閉店間際のヴァッリ劇場前のバールで買った、エルバッツォーニという土地のパイをキノットと一緒に食べながら、小一時間ほど誰もいない寒々とした広場の噴水を眺めていました。

3週間も毎日欠かさず通っていれば、色々な人との出会いもあり、再会もあり、有意義で楽しい毎日でした。仕事場の雰囲気が本当に素晴らしく、最初から最後まで、心地よく仕事が出来たのが嬉しかったですね。文句を言うまでもなく、歌手の皆さんがここを教えて、あそこを返して、と厭な顔一つせず、最後まで真摯に楽譜と対峙してくれたのにも感激したし(初日に指揮台に上がると、譜面台の上に、主役のニコラスからメッセージ入りのプレゼントが置いてあったりしました)、俳優の皆さんの声には、心がいつも揺さぶられたし(ミケーレ・デ・マルキも、本番の後にお礼の電話までくれましたし)、彼らに対し、とにかく丹念に演出を施すフランコ・リパ・デ・メアナの腕前と粘り強さからも沢山のことを教わりました(フランコとは、楽日の翌日、ミラノに戻る列車で一緒になり、記念に上げる、と趣味で集めている折り畳み傘をくれました)。

いつもは、クラウディオ・アバードやら大御所とばかり仕事をしている照明の巨匠グイド・レヴィも、こんな右も左もわからないような若造に、気がつかないうちにさらりとご馳走してくれたり、色々と気を利かせてくれたりして(だからという訳ではないけれど、今日は思わず、彼が照明を担当している、パリ・オペラ座の「アルジェのイタリア女」のDVDを買ってきました!)、その他の裏方の皆さんも一人一人本当に気持ちよく働いてくれて、毎日仕事に出かけるのが楽しみでした。演奏家の皆さんも、文字通り最初から最後まで全て協力的でしたし、本当に言い出したら切りがないですね。

合唱指揮のアルフォンソ・カイアーニとは、最初に家で打ち合わせをしたときから、ウマが合うと思いました。直感で、ああすごい才能だな、耳がいいなと思えたし、実際彼が居たから何とかなったとも思います。定期的にパリのオペラ座で仕事も始めたけど、ヴェニスのフェニーチェから引抜かれたから来年1月から暫くヴェニスで頑張ろうかと思っているんだけど。でも、考えてもみろよ、冬のヴェニスなんて一ヶ月も暮したら鬱病になっちゃうだろ。本当はさ、バルセロナに行きたいんだよな。劇場もいいし、海もある。メシもうまい。ヴェニスか、まあ、取りあえず様子見だな。

彼はスカラの少年少女合唱団の指揮の責任者で、こちらもまだ暫くミラノに住んで、息子が後何年かして、どうしても音楽がやりたいようだったら、アルフォンソに頼んで、少年合唱団に入れて貰いたいと思っていたのだけれど、ヴェニスにゆくならスカラと両立は時間的に難しそうだからちょっと残念、などと考えつつ、一緒にミラノまで夜半の汽車で戻ってきたりしました。

劇場監督のダニエレ・アバードと、2、3度立ち話をしましたが、演出にも作品にも満足してくれたし、何より短い合わせでここまで形にしたということに驚きだったようです。レッジョでは今頃、彼の演出で別のオペラを準備しているはずで、時間の都合が付けば是非見にゆきたいところですが、ここまで全ての仕事が遅れていると難しいかも知れません。彼と話していると、こちらが素人臭いだけなのか、何とも言えない上級のオーラが漂ってきて、こんな人と話していていいのかな、などと思ってしまう程です。

ピアノ付きの舞台稽古で、どうせ朝から晩までピアノのマルコと二人、皆からずっと離れた誰もいないところで振っているだけだから、と靴を脱ぎリラックスして指揮台に上がっていたところ、或る日ふと気がつくと、すぐ目の前で突然テレビ・カメラがこちらを舐めるように撮っているではありませんか。仰天しながらも、どうか足元は撮られませんようにと祈りつつ、振り続けながら靴を履いたりしている有様では、どう贔屓目にみてもお里が知れるというものです(あれはRAIのニュースだったらしく、友達から見たよと報告を受けましたが、指揮者は遠くで振っているだけだったと聞き安心しました)。

数日前に、サウンド・エンジニアをしていたアルヴィゼ・ヴィドリンからメールが来て、よく困難な条件であれだけやったねえ、と書いてありました。このオペラもなんでもDVDにするとかで、指揮者にインタヴューをとか言って、午後誰もいない舞台で、演奏者の椅子に座り、盛りだくさんの打楽器が写るアングルで質問されたときも、このような難しい演奏は、どうでしょうか、実際やられてみて、と言っていたし、まあ全てのキューをヴィデオカメラに向かって左手の指の数1から5までで出しているのを見ている方からすると、なんだかすごいことをしているように見えるのかも知れません。そうですね、別に特に指揮者は大したことはしていないんですよ。歌に合わせて振っているだけで、全体がつつがなく流れてくれるようにやっているだけですけどね。等と答えたら、インタヴューの人たちはちょっとがっかりしていました。

こうして、色々な人に支えられてオペラは出来るわけですが、最後の最後、本番は、とにかくしっかり指揮者が纏めないと、これだけ素晴らしいメンバーが朝から夜中までかかって準備したもの全てが水の泡になってしまうわけですから、何を考えて振っていたかと言えば、ただそれだけ。皆の努力が報われるように、素晴らしい舞台になりますように。普通に演奏するのと、何が違うかといえば、やっぱりこの部分だったと思います。最近、仕事で厭な思いをしたことがないのですが、結局周りに恵まれているのでしょう。有難いことだと感謝の念を新たにしつつ、とにかく詰まっている仕事を少しでも片付けるよう努力しなければ。

(10月31日ミラノにて)