しもた屋之噺(83)

杉山洋一

ヴェニスから1時間ほど電車で下ったところに、アードリアという小さな街があり、ファシズム時代に建てられた、一目でそれととわかるいかめしく大きな、この街は不釣合いなほど立派な劇場があって、今晩そこで、メルキオーレが書いた新作オペラの初演をするため、昼寝をしに部屋へもどってきました。

アドリア海と同じ地名ながら、実際の沿岸までは20キロほど離れた内陸にあって、今でこそ農業なども盛んなようですが、戦前は泥ばかりで土壌もわるく、それを開墾して農業用に作り変えた、ファシズム期の開墾政策の成功記念に、立派な劇場が建築されたようです。当時はセラフィンがこの劇場でタクトを取っていたそうで、とても古い木製のオーケストラピット用の譜面台など、おそらく当時のものに違いありません。そう思うとちょっと緊張するのですが。

現在では、あまり劇場として多くの演目は抱えていませんが、ヴェネチアやヴェローナを初めとするヴェネト州の数多くの劇場の、仕込みをするための劇場として機能させようという試みが始まったところで、今回はヴェローナのアレーナのプロダクションと一緒にアードリアに来ていて、明々後日から2公演、ヴェローナのフィラルモーニコ劇場で再演することになっています。

アードリアの劇場は、内装を作り直したばかりですが、客席など、古い椅子がそのまま使われていて、とても趣があります。舞台もとても広いので良いのですが、困るのは、劇場としては珍しく、天井が大きなクーポラになっていて、教会のようにひどく残響が残るのです。

オーケストラ・ピットの方が舞台よりも客席に近いわけで、当然、オーケストラの音はまるでマイクで拾ってかつ加工されたかのように大きく響き、舞台上の声はあまり飛ばないのです。ピットも決して広くはなく、ここでセラフィンが蝶々夫人などやっていたというのは、ちょっと信じられない気がします。

リブレットは川端康成の「名人」をもとに、作り上げられていて、歌手は4人。イギリス人のソプラノとメゾ、それにイタリア人のテノールとバリトン、それに25人の合唱にここの狭いピットになんとか入るだけの小編成のオーケストラ。せりふのある俳優が二人に、彼らと一緒に動く俳優たちが4、5人で80分ほど。全体的に叙情的なオペラで、日本人からすると、あの静かな「名人」がどうオペラになるのか不思議な気がしますが、なるほど西洋人の目であの囲碁の対局を描くと、実に劇的な、文字通りのオペラらしい展開になっていました。

舞台は、奥に和風の櫓が組んであり、そこに洋風の棺桶がおいてあります。名人が亡くなった、というところから物語が展開するので、まず棺桶ありきなのです。そして、幾つかある対局の場面にそって、碁盤のセットが3箇所あつらえてあり、歌手たちの着物は、アレーナなのでもちろん、という言うべきか、蝶々夫人のものを転用しているらしい。

劇場に着いて大道具を初めてみたとき、客席でさんざん指示を出していた演出家に、「どうこの棺桶のセット素敵? これで日本風に見えるかしら」と尋ねられ、彼女にさんざん振り回されていた大道具係が横で「ああ頼む、OKだって言ってくれ!」と声を押し殺しながら真剣に頼まれたのも可笑しかったです。

囲碁を指す姿が禅僧のように映るのか、化粧を施すたびに、主人公の二人がますます坊さんみたいになってくるのも愉快でしたが、目に隈取をしたあたりから、お坊さんもいよいよ歌舞伎かトゥーランドットかという按配で、今晩どんな姿で現れるのか楽しみです。

それはともかく、各歌手や合唱のパートなど決して易しくはないものの、皆さんとてもよく勉強してきてあり、音楽稽古はとても楽でしたし、歌手どうしも、他の裏方の皆さんとも、とても気持ちよく練習ができたのは嬉しかったです。オペラを準備する楽しさは、普通の音楽会を準備するのと違うものですから、もう初日かと思うと、ああでもないこうでもないと楽しみながらやってきた練習が名残惜しい気もします。

ここまで書いて睡魔には勝てず、布団にもぐりこんで昼寝をし、昨夜無事に初日を終え、今朝、朝一番の電車で久々に一週間ぶりにミラノの自宅に帰ってきました。すぐにヴェローナには戻るのですが、洗濯やら何やら雑用がたまっているのと、基本的にホテル暮らしが好きではないものですから。

さて、昨日の公演は、まさかアードリアに現代オペラの観客なんていないだろう、と演奏者は全く期待していませんでしたが、蓋を開けてみて意外な位劇場が埋まっていて驚きました。ですから、きっと蝶々夫人のつもりでやってきたお客さんもいたに違いありませんが、公演後、なかなか拍手が終らないのにはびっくりしました。

本番直前に劇場に入ったとき、主役のマウリツィオから、お礼のメッセージと、可愛らしいマグカップを貰ったのには感激しました。そのカップでアールグレーを啜りながら、この原稿を書いています。思えば、昨年サーニのオペラをやった時も、初日に、主役のイッシャーウッドからシチリア土産のハチミツとメッセージが譜面台に載っていて嬉しかったのですが、オペラには詳しくないので知りませんが、これは習慣なのか、それとも偶然なのでしょうか。いずれにしても嬉しいことには変わらないのですが。

今から一週間ほど前には、パリオペラ座の小ホールで、「パリの秋」音楽祭のため、ニーウ・アンサンブルとアルディッティさん初め素晴らしいソリストの方々と演奏会がありました。オランダ人はみんな真面目で陽気なのか、練習はいつも楽しく、練習後も、アムステルダムではインドネシア料理やら、パリでは当然ビストロやブラッセリーで舌鼓をうっていて中々ゴージャスなひと時だったのですが、パリでは晩御飯のアントレーは何年も食べていなかった牡蠣を、思わず毎日食べてしまいました。フランス料理は、全体的にイタリアよりずっと重厚だけれども、本当に美味しい!

演奏会後、楽屋に早々に千々岩くんが顔を出してくれたのも感激でした。みさとちゃんや細川さん、筝の後藤さんやペソンのようになかなか会えない人たちの顔も見られて、夏に東京でお会いしたばかりの、湯浅先生や岡部先生も駆けつけてくださったのも心強かったし、今回初めてご一緒した筝の川村さんや作曲のポゼ、今井さんも、みなとても気持ちが良い方ばかりでした。彼らと一緒にやる上手で飾らないニーウ・アンサンブルとの練習はいつも無駄もなく、方向性と互いの信頼がぴったりと合い、かつ愉快でした。

1年ぶりくらいに会ったペソンが、まずそのニーウ・アンサンブルの皆にリクエストしたことは、床を靴でこする動作の精確さについて。素早く、そして正確で、揃っていること。物凄く正確すぎて、それが思わずコミカルに感じられる程に!ということなのですが、これが本当に難しくて、でも楽しいので、みなケラケラ笑いながら何度もリハーサルをしました。

ポゼはものすごく丹念に書き込まれた楽譜と、細かいドイツ語書きの注釈、敬称でやりとりしているフランス語のメールの印象でどんな人かと想像していましたら、実際現れてみると、大凡ドイツ人にしか見えない風貌で、でも物凄く感じのよい、実直な作曲家で、すぐにフライブルグに戻って、オール・シューベルトのプログラムでフォルテピアノの演奏会があるから準備しないと! と話してくれました。遺作のソナタと、幾つかの小さな舞曲集をやるんだが、ソナタよりこの舞曲がね、すごく難しいんだよ、と声を弾ませました。あの複雑な楽譜を書く作曲家の姿と、シューベルトや古典を演奏する鍵盤楽器奏者の姿が、一見到底つながらないようにも思うのですが、その実、本当に古典的な意味でとても音楽的に書かれている彼の作品の素晴らしさを鑑みれば、それは実に自然で調和が取れているようにも感じます。

アルディッティさんは、特に本番での音楽の豊かさ、懐の大きさ、深さに胸を打たれました。波長もばっちりと合って、いや良かったねえと本番後に二人で大喜びしたのですが、演奏会最後の曲目だった、ポゼの前に袖に引っ込んだとき、どうせソリストの譜面台も立てたりするので時間もあるかとトイレで用を足していると、隣に独奏者が右手に楽器を携えたまま入ってききて、こちらが仰天していると、「自然の摂理には勝てんだろう!」と、楽器を持ったまま器用に左手で用を足し、「その後どうするの」と心配になり尋ねると、さすがに手を洗うときには楽器をベンチに置いたので、ほっとしました。そして、「さ、行こうぜ」と言って、二人で大笑いしながら舞台に出て行ったのです。

(10月26日ミラノにて)