青空の大人たち(11)

大久保ゆう

 その富田さんはパブリックドメインの共有という活動について生前いかなる賞も個人では受けずそのような話があったときも〈青空文庫〉としてならという条件を必ず出していたという。むろん実質的なリーダーとして決断や行動を(時には強引に)推し進めていたことも事実なのだがその成果を潔癖とも言えるほどに独占私物化しないという線引きをしていたのもやはり思想である。

 たとえば青空文庫が収録している各作品の閲覧ページに広告などを貼らずトップページのみに掲げているというのも同様で作品そのものから対価を得ないというのが大原則としてまずありこれまでに幾多もある〈金儲け〉の誘いを一貫して突っぱねてきたというのもわかりやすいがそれでいてお金なしにはサイトの維持はできないので何かしらの助成金を得たり寄付を申し出た企業等に「実はトップページの広告枠があるので」とお互いに利があるように誘導していくあたりはしたたかでもあった。

「組織なし、資金なしでも回り続ける仕組み」を模索する「永久機関の夢を見る青空文庫」では、あくまでも作品自体は自由であって、それを守り維持する棚の部分をそれ自体でマネタイズし自立させるというわけで、迂遠ではあれ理想を続けるには知恵が要るということでもある。

 そうした頭のひねり方は参加していた少年にもそれなりの影響があったようでもちろん少年であればこそ暇だけはあり活動にも参加できていたわけだがやがて大人になり仕事をするに至っては昨今余暇もままならない。そこでならばと思いついたのが仕事のなかに活動を組み込んでしまうというあり方で、青年はおのれの非常勤出講先の大学授業で訳したいテキストを扱いその成果をフリー翻訳として青空文庫へと還元するようになる。仕事の一環であれば時間も金銭も確保できる上、講義することで精読できるばかりか学生の指摘から訳稿も推敲可能で、教育の副産物を世に公開するのだから道理も通るというものだ。

 それはまたモチベーションの源を確保することにもなる。テキストとの格闘は孤独な作業とならざるを得ないため挫けやすいものだが宛先がある(と実感している)ということはそれだけで励みである。授業であれば学生だがかつての少年および青年にとっては大人たちということになる。あえて自らをさらすことで誰かを巻き込みまたは誰かに巻き込まれることで活動を回していくことはフリーカルチャーの根幹でもあって試みたパターンも様々である。朗読連載という形で朗読してくれる方と組んで併走することもあれば、公開コンテストの課題文として提供するために訳すということもあった。むろんごくごく単純に同人誌への訳載もあったし、大学に提出するレポートの課題にもした。友情やサークル活動のなかでのイベントにもなり、誰かへのプレゼントとして訳したり入力したりすることだってできた。

 誰かに宛てるということは明確であればあるほどやりやすい。そもそも宛てるにしても究極的にはそれが自分自身であってもよく、青空文庫へ志願した少年のおのれでさえ「仮定法はまだ習ってない」という豪語の通り英語がよくできたかというとそうではなくむしろ成績としては中の上か上の下あたりをさまよっているというのがいいところで本心としては「翻訳を続けたら苦手な教科のテストの点数も少しは上がるだろうか」という功利的意図があったわけで結局のところ作品を書き写したり訳したりすることは文学修業としてはかなり効果的であった。

 その意味では高校生のころは「書きたいと思う作品を訳す」という背伸びにも似たものがあり大作家の良作に肩を借りて文章を作っていくことはひとつの巻き込まれのあり方として成立しているばかりか、フリーで公開するものなのだから未熟でもいいじゃないか自由に訳したって何が悪いという開き直りにも近い態度が取り得て、そうしたものには大人たちは実にゆかいゆかいと頭を撫でてくれるのでやはり少年も増長されるしかない。ましてや大人たちがそうした経緯でフリーで公開されたものを勝手に使ってまた別の作品を作ったり商品を売ったりしてそれを少年のもとへどうだと言わんばかりに見せつけたり送りつけたりしてくるものだからこちらも楽しいことこの上ない。今も自室にはそうした大人たちが送ってきた手製本された冊子や、電子書籍を作るためのツールソフトが入った大きな箱、朗読されたものが詰められたCDなどが保管してある。

 先日、ちょうど同じインターネット黎明期にネットを遊び場とした同年代の人物と話をする機会があったが、やはり似たことがあったようで、思い出といえばなぜかわからないが大人がみな一緒に遊んでくれたし、やんちゃな振る舞いは大目に見られ、(要不要・意識無意識を問わず)とにかくいろんなものをくれたという話題になった。確かに趣味のつながりのある大人というものは昔も今もそういうものであるのだが何かが〈回ってゆく〉というものの核にはこうしたことが無数にあるのだろう。

 とはいえ子どもとはうるさ型の大人については積極的に回避し忘却するという性質があるのだからつまるところ〈いいこと〉しか覚えていないのであるけれども自由な大人たちが自由に活動をして自由なものを作りそれをまた自由に配ったりしているという有様は衝撃とともに受け取られて何かしらの原風景として心に落ち着き、文化なるものの輝きを目に焼き付けてゆく。そして眼を焼かれた我々はまた同じことを積極的に繰り返すのであって、おそらくは文化のなかで行われる〈まねび〉とは単に作品の模倣だけではなくそうした作り方や受け方さらにその成立のさせ方も含めてまた真似られるもので、暗闇のなかでの模倣は姿形がよく見えずやりにくいが青空の下であればその姿も動きも鮮明で自然と覚えて手が動いてしまうのだろう。

 むろん〈フリー〉というのは単に無償とあるだけではなく作品そのものが自由であると言うことで、それに付随する活動もまた自由でありそれとともにそれにまつわる人の関係も自由であって、少年が学んだのはそうした〈自由〉に拠るところが多かったのであろう。