オトメンと指を差されて(41)

大久保ゆう

なんといっても心の鼻血なのです。どばどば。

こればかりはいかんともしがたいと言いますか、やむをえず生まれてしまうものでして、わたくしの日頃の言動を気にしていると、しばしば口にしたり筆にしたりしている事象なのですが、そういえば先日ふとこのことを誰にも説明していなかったのではないかと思い至り、今回の文章に及ぶわけでございます。

語釈致しますと〈心のなかで鼻血を出す〉ということでございますが、ここで申し開き・弁解・言い訳差し上げますと、これはあくまで世を欺く・しのぶためのものでありまして、ゆえあって表に出せないものであるから心のなかで出すのであります。

何というか、わたくしはもう大人になり30歳にも近づこうかと男性であるのですが(ときどきまだ20代半ばくらいには見られることもありますが)、そうするとなかなか子どものようにはしゃいだり感情を素直に表に出したりすることははばかれることもございまして、またそれが対象によっては年齢や性別の壁などがあって余計にそのまま出してしまってはただの怪しい人になりかねないということがあるのです。

しかしどんな立場にあろうと素晴らしいものに出会ってしまったら興奮してしまうというのが人というもの。そこで表だっては反応できないといいましょうか、人様から見えるところではぐっとこらえて、あくまでも平然と、(とりわけわたくしの普段の服装身だしなみにそぐうよう)お澄まし顔をしつつ、自分のうちに秘めたる興奮としてあえて心のなかだけで、ひっそりどばどばと鼻血を流すのであります。

たとえばわたくしが街を歩いていて、通りがかりに見かけたスイーツショップなり雑貨店なりのショーウィンドーに足を止めて、ながめているとしましょう。その様子は、知らない人から見ればなにやら真面目そうな男性が真面目そうにもしかして誰かにプレゼントするために考えているのかなといった風に見えるでしょうが、その実、おのれの欲望と興奮のために心のなかでは鼻血がどばどばと流れっぱなしでそれどころが心のよだれまでこぼれているという有様なのです。

あるいは、会話のなかでわたくしが冷静に何かモノをほめたとしましょう。小物や絵本のデザインや中身などをいたく評価して、説得的な言葉で話している相手にほしいと言わしめんばかりの口振りであるけれども、表面的には実に落ち着いていると。けれどもこれもまた、なかをのぞいてしまえば、好きなことをしゃべるとき特有のかなり高いテンションになっており常時鼻血が垂れているばかりかそもそも他人に話しているというよりそれをしゃべる自分にうっとりしているどうしようもない人であったりするのです。

ましてや絵本作家の展覧会などに行って、わたくしが掲げられた原画をすっくと直立していかめしく見ているとき、それは端から見るだけでは何か真剣なお勉強か研究のために来ている人に見えなくても、本当はただシンプルに〈かっこいいもの〉を見たくて内心どきどきそわそわしっぱなしの、鼻血をためらうことなく直下にこぼしっぱなしのアレなんでございますよ。

ですから何てことのない次の文章も。

「秋って言えば確かに読書の秋なんですが、読書は普段からするものですし、秋になったから旬の本が増えるというわけでもないんですよね。でもそれに引き替え食欲の秋は、その時期にだけ美味しさが倍増するもの、そのときにしか食べられないもの、があるわけじゃないですか。そうするとどうしても、秋はこちらに集中してしまうわけなんです。」

鼻血を出している箇所に括弧書きで擬音を入れてみるとこうなるわけです。

「秋って言えば確かに読書の秋なんですが、読書は普段からするものですし、秋になったから旬の本が増えるというわけでもないんですよね。でも(どばっ)それに引き替え食欲の秋(どばばばどばっ)は、その時期(どばーっどばーっ)にだけ美味しさが倍増するもの(どどどどどどどっ)、そのときにしか食べられないもの(ばばばばっばーっばばばーっ)、があるわけじゃないですか(どば)。そうするとどうしても(どっどっどっ)、秋はこちらに集中してしまうわけ(ばーばばばばばっばーっばーっ)なんです。」

まあこの連載では鼻血出しっぱなしなわけですけどね(どばばばー)。

何にせよ、ここでまともな話もしておくと、ただ表に出さないというか、我慢するというだけでは、人間おのれを保のも難しいということでして、〈鼻血を出している自分〉というイメージがひとつあるだけで、感情なりなんなりの行き場ができるというか、そういうのはとても大事なことですよね。また内心の自由を満喫するという意味でも。

というわけで、わたくしの周りは日々血の海だらけなのです。しかも秋ですからね。気分はもう紅葉。