オトメンと指を差されて(53)

大久保ゆう

「唐突で申し訳ないのですが〈しわす〉って美味しそうですよね。何がと訊かれるととにかくとしか答えようがないのですが何となく〈きさらぎ〉を巻いてお弁当に詰めてピクニックに出かけられそうな趣があるわけで後は下にほのかに香る〈さつき〉でも敷いて〈うづき〉から削った百貨店で取り扱われていそうな高級箸で食べながら魔法瓶に入れてきた〈ふみづき〉を飲んで〈やよい〉でもリズムよく口ずさんでおけばいいんではないかなと存じます。」

上記は、大久保ゆうが〈師走〉を話題にリラックスした状態でつぶやく世間話のサンプルである。彼にとっては、挨拶代わりの話というのは天気でも時事でもなく、そのあたりにたまたま転がっていた単語を拾い上げて、これまたそのあたりに漂っているイメージに接ぎ木して場の中へ投げつけるようなものであって、中身というものはほとんどなく、よってまっとうなエッセイの枕にもならないものだ。

そこを何とかもう少し形になるようなもの、話の広がりそうなものをと、〈年末〉をキーワードにしゃべらせてみると、こうなる。

「個人的には〈年末年始〉っていうのはヒーローの時間かな。といっても世界を救うような大層なやつじゃなくて、ささやかな問題を解決して去っていくような。たとえば、旧年なかなかクリアできなかったTVゲームのエンディングをいきなりやってきて見せてくれるような友だちの友だちとか、ずっと開かなかった賞味期限の近いジャムの瓶をこじ開けてくれる親戚とか、小さく世界が変わってくれるような、それでいて大人にはたいしたことなくても子どもにとってはそこにはキラキラしたものがありますよね。たぶんクリスマスのプレゼントとかお年玉とか予定調和なものよりも、あとあと心に残るものがあるんじゃないかなって。」

もっともらしくも思えそうだが、しかし本人にとってこのような言葉は、その場で思いついた出任せに過ぎない。しばらくしてから誰かが本人に「そういえばあれさ」と聞き直そうにもだいたいにおいて忘れている。コミュニケーションにおいて、とりあえずその場の時間が埋まったり、目の前のページがそれらしく埋まったりすればいいだけのもので、真偽構わずうっちゃってしまう。

大久保ゆうという人間が、しばらくのあいだ周囲から不定型なものと目され、そのように扱われてきたのは、おそらく上記のような表層状の問題が原因かと思われる。それに関連して生じた厄介については、プライヴェートのことであるのでここでは省略するが、次第に困っていったことは想像に難くなく、あらためてある程度の個性を出すことを決意するに至ったのである。

そして次のような語りへと進化(あるいは退化)する。

「温泉? そう温泉! 大好きなんですけどね、暇があったら回りたい、色々行きたいって思うんだけど、それってたぶん私個人にとっては宗教的なものなんですよ。心っていうか信条として。これは冗談じゃなくって割と本気で、信仰ってだいたい親とか周囲から幼い頃に叩き込まれるものじゃないですか、聖書とか教典とかを渡されて暗唱させられて。中身なんてさっぱりなんですけどね。だからか、まあ同時にマンガみたいなものも買い与えられるわけですよ。偉い人の伝記みたいな感じで。私ね、すごいそれ読んでたはずで、読んでたこと自体は覚えてるんですが、ほんと内容が全然思い出せなくって。かすかに覚えているのが、主人公のおっさんがめちゃくちゃ温泉入ってる、すぐ入ってる、しかもあちこち入ってる、湯治してるわけです。あれはもう、強烈な刷り込みですよ。ある種の崇高さというか、〈善〉というイメージと一緒に温泉がやってくるわけですから。だからこの時期になると、強迫観念に近いレベルで温泉に入りたいって――」

話のしっちゃかめっちゃかさについては正直大差ないが、より個人を感じさせるものにはなってはいる。ここから本人の〈割と好きなもの〉をターゲットにして妄想や個人情報の取扱レベルを微修正してやると、普段みなさんが読んでいらっしゃる〈オトメン〉の文章になるというわけである。

「チョコレートは吸血鬼の主食なのです。血の代わりにトマトジュースを飲むとか色だけじゃねえかと常々疑問を抱いてきたわたくしではございますが、夕方前あたりに起きてきてホットチョコレートを飲むことこそ始終血を吸ってるわけにはいかないイモータルな化け物の普段のあり方なわけです。てゆうか赤ワインとかで代用するよりかっこよくないですか、かっこいいですよね、かっこいいから同意しなさい。そして吸血鬼になりたいと思う世の志望者諸君はなべて冬でなくとも常にココアを飲むべきである!」

このバランスさえ守れれば何でもそれっぽくなるので、誰でもこのエッセイの代筆ができるようになったというわけであるからして、もしかしたら来年あたりから筆者が突然変わっているかもしれない(そんなことはありません)。