オトメンと指を差されて(66)

大久保ゆう

わたくしが妙な擬音語・擬態語を用いることは今回の回数のちょうど半分の回で触れたりなんぞ致しましたけれども、そういえば最近わたくし気づいたことがあるのですよ。もちろん今でもチョコレートを食しますときは「しょこらしょこら」というフレーズが頭のなかに響いているのですけれども、そう、わたくし普段からよく飴ちゃん(普段は声をよく使う職業でもあるので主にのど飴であるわけなのですが、そう、関西では飴のことを飴ちゃんと常にちゃんづけをするんであくまでも飴ちゃん)をなめるときに流れるフレーズは……

「かんろちゃんかんろかんろ」

あとそうです、日常生活では省エネだったり差し替えだったりでコンセントのプラグの抜き差しをよくするんですが(というかわたくしの下宿にはそもそもコンセントの数が少ないというかタコ足配線もあんまり好きくないのでしないっていうのもあるんですがとにかくプラグの抜き差しをよくするんですが)、そのときに頭のなかで復唱するフレーズっていうのが……

「こはくのせいれいよわれにちからをさずけあたえたまえっ」

それにその、わたくし作業をしているときには結構動画サイトをバックグラウンドで開いていることが多くてですね、そのときにはだいたい VOCALOIDといういわゆる電子的な歌声をBGMにしながらキーボードをぺけぺけしているんですけど(それもだいたい「初音ミク」さんのものが結構な割合を占めていたりなんかしたりして)、まあその動画を開くというかリンクを踏むというか再生ボタンを押すというかそういう曲を聴き始めるための動作をしているときには、意識のなかで自動的に詠じられる言葉があって……

「のーびーすむんでーれくとりすむーさみかーつねかんたー」

うーん、これは。これはこれはこれは。……擬態語どころか文章いや呪文に近いものにすらなっているではありませんか。いったいいつからどこからこうなってしまったんだ……いやいやいや、イメージとしては擬態語のつもりなんですよ、マンガのコマにそれらの行動を取るわたくしが描かれていたらその横に添えてあるようなそんなつもりなので。

とはいえ多少なりとも宗教的な環境で育ってきた人であるならば祈りやら宣誓やらフレーズやらがある一定の場面や行動と無意識に接続されていてふっと浮かび上がってくるなんていうことがあるってことをわかってくださるんではないかと無宗教の国とも言われるこの島で期待したってどうしようもないことは百も承知ではあるんですが、無駄にフレーズが凝っていったりするあたりはわたくしもまだいわゆる「中二病」なるものが心の片隅に残っているのかもしれません。

あ。もしかすると「中二病」をご存じない方がここにいらっしゃるのかもしれないのでここでわたくしはわたくしの地元であるところの町でロケハンが行われたるところのただいま大ヒット放映中のTVアニメ「中二病でも恋がしたい!」をことさらに強調してみるためにその第1話の冒頭のナレーションを引用してみるのですよはい!

「みなさんは「中二病」という言葉をご存じだろうか? 思春期を迎えた中学2年の頃にかかってしまうと言われる、恐ろしくも愛すべき病で、形成されていく自意識と夢見がちな幼児性が混ざり合って、おかしな行動をとってしまうという……アレだ。」

何やらその病(という比喩)は、子どもが背のびするような感じでやたら難しい言葉や漢字を用いたり格好つけたりするような趣でもあるのですが、わたくしの場合は子ども時代に無理して自意識を落ち着かせていた分、今さらに自意識と幼児性がぶり返しているというか「オトメン」はどこかそういうところがあるのできっと通じるところがあるんだろうなーと思っていたらやっぱりそうでしたね!

っていうかそんなことはどうでもいいのでありまして「中二病でも恋がしたい!」のお話はわたくしの地元の町やらその周辺で物語が巻き起こっておりますのでご興味をお持ちになられた方におかれましてはどうぞ一度ご視聴下さい。青空文庫に参加したときのわたくしっていうのはだいたいあんな感じの場所であんな感じであんな人たちと一緒に生きていたのだと考えてくださっておおむね間違いないのではないだろうかと思います。(登場人物の誰がわたくし、なんて無粋なことは言わないですけれども)