青空の大人たち(8)

大久保ゆう

 実家には本を家族で共有するための本棚がある。各自それぞれ読み終わった本をジャンル問わず(小説もあれば実用書もマンガもあるが)そのなかへ並べていく。もちろん自分のお気に入りの本などは自分の手元に置いておくこともあるが、読んで面白かったからこの本棚に入らないということでもなく、やはり面白かった本でもここにやってくる。特にお互いにおすすめするということがなくても、置いておけばいつか家族の誰かも読んでくれるかもしれないなと思うことはあり、実際に棚に入ってから数年後に読後の感想を聞くことだってある。家族によって買い継がれていくシリーズもあり、姉が1〜3巻を買って兄が4、5巻を購い、私が6〜10巻を足して、弟が最終巻までと番外編を揃えるということもありうる。
 姉妹兄弟のいる家では少ないお小遣いをやりくりするためこうした本のシェアをすることがままあるわけだが、別に欲しい本が重なることはそう多いわけでもないので単にお金の問題というより、お互いの趣味を影響させてゆくといった側面の方が強い。個性のある本棚に何かしら刺激されていろいろなものを読むようになるというのはごくありふれた話でもある。
 実家の近所にあった(今はもうない)小児科の待合室にも、本棚があった。身体の強い方ではなかったから就学前にはたびたびその開業医のお世話になっていたのだが、子どもを待たせておくためだろう、小さな本棚があり、その本棚にはいろいろな――いや正確には、雑多な本があった。そこにある本は、いらなくなった本、もう読み終わった本、という感じの寄せ集めの本たちばかりだった。マンガは途中の巻しかなくいつ行ってもその巻しかなくて全編通して読んだことなど一度もなかった。それはその開業医が誰かからもらったものを置いているのかもしれないし、適当にみつくろって買っているのかもしれない。
 それでもその本棚がいつも楽しみではあった。行ってはそこの本を読み、名前を呼ばれて医者の前に座ってベロを出すと金属のへらみたいなもので舌をぐっと押さえられてうぇっとなってそのあと一日三回飲んでねと妙な味をしたオレンジ色の液体を渡され、おしまいに待ち時間で読み切れなかった本を受付の人に断って持って帰る。そしてまたすぐ病気になってその開業医へ本を返しに行くことになるのだが帰るときにはまたオレンジ色の液体と別の本を手にしている。少なくともその一連の流れを愉快には感じていた。どのようにして出来上がったのか本棚なのか、どのような性格を持った棚なのかはわからないが、その中途半端な蔵書は強烈な印象として残っている。今でもどんな話があったか、あの待合室の匂いとともに鮮明に思い出せる。
 青空文庫にしても、個人的にはインターネット上にそうした本棚があった、というだけなのかもしれない。一般家庭にもパソコンが普及し始め、さらにインターネット接続環境も整いつつあった時代、検索エンジンから「図書館」というフレーズで検索してみれば何気なく見つかった青空文庫は、インターネット図書館を謳ってはいても、やはりその本質は本棚である。誰かが手間暇かけて電子化してネット上の本棚に置いていったものを、また誰かしらがその本棚から持って行く。「本を電子化して、誰でも読めるようにしておくと面白い」と考えた数人が集まって1997年7月に生まれた青空文庫は、「インターネットさえあれば誰にでもアクセスできる〈青空〉をひとつの公開書架として、自由な電子本を集める活動」である。
 初めて青空の書架(Open Air Shelf)の存在に気づいたのは、1998年の7月頃だろうと思う。このたび日記を――思春期のあいだにだけつけていた恥ずかしい日記を――久しぶりに読み返してみると、9月14日(月)の記述に、青空文庫の活動に参加してみようという意思が書き付けられてあるので、おそらくその翌日あたりにはメールを送ったのだろう。「一片の悔いも残さぬために、参加しよう」と日記には強い表現があるけれども、逡巡してもなお踏み出すのはやはり震災の余韻だろうか。翌年にHONCO双書から出た『青空文庫へようこそ』に、自分はこんなことを書いている。

インターネットを始めて間もない頃、なにげに検索した言葉に青空文庫が引っかかりました。初見の感想は正直言って、「うわぁ、奇特な人たちやなぁ。まだ日本にもこうゆう人達がいたんやなぁ。マジすごいやん」でした。[…]しばらくして、その興味が、協力したいという思いに変わっていったわけですが、したいと思っても高校生。古い本の知識もなければ現物もありません。入力なんて到底出来るわけがなかったのです。それでも、何とか関わりたいという気持ちが強かったものですから、必死で考えて思いついたのが海外文芸の翻訳だったわけです。自分の好きなシャーロック・ホームズならどうにかなるのではないかという浅薄な考えを抱いて(どうしてこのとき校正という手段を思いつかなかったのでしょうか。今でもわかりません)。

 手元にあるこの本の謹呈票には、当時本とコンピュータにいらっしゃった木村祐子さんが、こんなことを書いてくださっていた――「この本は大久保さんにとってはじめての本(ISBNコードのついた)かも知れませんが最後の本には決してならないことでしょう」
 そして9月17日(木)付けの日記には、「青空文庫に参加。まずすることは「シャーロックホームズの冒険」の「ボヘミアのしゅう文」を訳すことになった。青空文庫の浜野智さんが翻訳に丁寧な指導、アドバイスを下さいましたので、頑張ろうと思う」とある。
 『青空文庫へようこそ』への寄稿文冒頭にも、「重要なことは、誰かがやってくれるのをじっと待つのではなくて実際に動いてみることなんですね」と書いているが、なるほど実に自分らしい論理だと納得せざるを得ない。虚弱でろくに外で動けない少年も、ネットという青空でようやく自由に動けたというわけだ。