6月5日「風ぐるま」コンサートのために ネットで見つけた辻征夫の詩で「まつおかさんの家」を作曲する 「ランドセルしょった」という詩の最初の行から跳ねるような子どもの足取り 背中でカタカタ音を立てるランドセルのリズムとペンタトニックの曲がる線が浮かび 絵巻をほどくように 音楽がすこしずつ現れる 詩の1行を楽譜の1段として その枠のなかに楽器ごとにずらされたリズムが現れ お互いに他のリズムに寄り添ってすすむ 二人三脚のように思うままにならず 予測できない不安定なうごきになる 最初のパターンが次に出てくるときには 音の高さや音程や音の数がすこしちがって 中心になる音がずれていく リズムも音程も支えがなく 浮かんでいる状態にしたいと思っているし 演奏者や演奏状況でいつもちがう風景が見えるように あいまいな書きかたをする
元永定正の絵本『ちんろろきしし』から20枚の絵とそれに対する無意味なことばを選んで 2014年神戸で波多野睦美の声とピアノでパフォーマンスをした こんどはおなじ絵本から8枚の絵を栃尾克樹が選んだ絵とことばで バリトンサックスと声とピアノの『こんじじじのきたくれぽ』を作る やはりルイ・クープラン風の全音符(白丸)だけの楽譜だが 和声も調性も拍もない パネルに貼った絵を見せているだけで音のない時間のほうが多い音楽にしたいと思っている
ジャン・アルプが毎朝おなじデッサンを描く練習をしていた と読んだ記憶がある 手がおなじパターンをたどるとき 「おなじ」とするのが論理 あるいは抽象 おなじかたちの積みかさねが「構成」 20世紀なかばまでは 最初の思いつきをくりかえし確認するのが「創造」と言われていたのだろうか
毎回すこしちがう感じを追っていけば パターンは崩れ変っていく できれば 始まりも終わりもなく もう始まっている映画を途中から見ているうちに 映写が途中で切れてしまうとか 霧を透かし見る風景が見え隠れしているように 一瞬ひらめいた全体をさがしながら迷い歩いている時間がそのまま音楽であれば それは作曲も演奏も即興もすべて含んだ音楽というゲームになるだろう