ドアと蝶番

高橋悠治

マルセル・デュシャンが1927年に住んだパリのラリー街11番地のドアは 一枚のドアが前後に回転して二つの部屋のどちらかを閉める 写真では ドアは中間の位置にあり 両側の部屋がすこしずつ見えている

ドアはゆれている そこから見え隠れする風景もゆらいでいる ドアが手前にひらくか奥にひらくかによって 見える部分がちがうし 一枚のドアには表と裏があり そのどちら側から見るかによって 見えるものはちがう

二つの部屋のあいだを行き来するドアが 一方の部屋を閉じる時は もう一方は開くから 開いていて同時に閉じている このドアの場合 「ドアは開いているか閉まっているかどちらかだ」とは言えない それだけではなく このドアが行き来する空間は第三の部屋のなかにあり その部屋はこのドアでは閉めることができない と考えると このドアは閉めるためではなく 閉められない空間を作るためにあるのかと 言いたくもなるだろう

このドアの両開きの蝶番は バネをもたない自由蝶番で スイングドアのように両側に回転しても どちらかの部屋を閉めた状態に自動的にもどることはない どちらの部屋も開いている中間の位置で手を放せば そこで停まったままでいる どっちつかずで浮いている状態なら どちらかを閉めた時よりは 見える範囲がひろく 見えるものも入り混じっている  

ウィトゲンシュタインは 問題には意識もせず疑いもしない前提があることを ドアは動くが 蝶番は動かないことにたとえた(『確実性について』341.-343, 655. 1969出版 )アーティストがそれまでにないドアを作ってから 哲学者がドアを問題にするまでに 世界は一つの戦争をはさんで変わった 一枚の例外的なドアではなく 見えるドアから見えない蝶番が意識にのぼる  

アルチュセールは1980年代の未完の「出会いの唯物論」で エピクロスからはじまる裏の哲学史を書こうとしていた 生きている世界のいま 落ちてくる偶然とぶつかり 思ってもみない遠くへ飛ばされるか 他のものと絡まり 隙間に閉じ込められて 波打つ 起源も目標もない変化 道でない道をたどり 選ばなかった可能性の束をふりかえり 見えない夢に背を向けたまま 風にはこばれてゆく

ドアを支える蝶番も浮き上がり ドアは透明な厚みのない膜になって 両側から流れてくる雑多なものを通す 通り抜けられなかった重く濃い流動物が両面にひっかかって 輪郭のぼやけた影を残す