変化するちいさなはたらき

高橋悠治

いつも夏のあいだ 秋の準備をする コンサートもあまりなく 暇な時間に見えるだろうが この暑いなかで 自分でしごとの締切を作って 作曲し ピアノの練習をする ゆっくりしかできないのは 暑さのせいかもしれない それに 音楽を何十年もやってきて いままでにやらなかったことを見つける 知らなかったことをためすのがむつかしくなってきているのだろう

やらなかったことは たくさんあるようだが できることは限られている そのなかで 逆に いままでやったことを振りかえり そこからほんの半歩だけ遠ざかる どこへ行くかは考えない

それぞれのしごとに具体的な条件がある 作曲のばあいなら 使う楽器 それを弾く人 
演奏時間 発表の場 たとえばコンサートのプログラム 他の曲のあいだで それらのどれともちがう位置 niche その楽器のために作曲した自分のいままでの曲 知っている限りでの他人の曲から どのように距離をとるかで できることが ある程度見えてくる瞬間がある その時を逃さずにはじめないと また霧がたちこめて 見えていたイメージは バラバラの断片になって忘れられてしまう イマージそのものではなく それらをつなぎとめている見えない糸が切れないように 見えている部分を配置しておくことができれば その日のしごとを終えてもいいだろう

しごとの速い作曲家がいる ダリウス・ミヨーは 委嘱された日に書き上げてしまい さすがに すぐ渡すことはせず 期日まで 抽斗に鍵をかけておいたと言われる ヒンデミットもクルシェネックもしごとは速かった こういう職人芸は必要ではないとは言わない そういう人たちがいなければ 音楽業界は困るだろう 委嘱した側から言えば 期待された作品ができてくるのはよいことだ 期待以上の音楽は 望まれてもいないし 時にはそれがプログラムの中心になっては困る場合さえある もちろん 期待以下では話にならないし 期日までに楽譜をわたしてくれなければ 練習日程や演奏の質にかかわる

でも 職人芸はそれ以上のなにか 思いがけない発見を誘うことはむつかしい ほとんど自動的に手がうごき 意外性まで計算されていて 演奏も安全な軌道の上を走っていく さて どうするか

思いついたときは 新鮮に思えるが 発見のよろこびは しごとをすすめるうち だんだん薄れていく 速いしごとが手慣れた表現におちつきそうになる前に中断して 他のことをする あるいは何もしないで ぼーっとしている ゆっくりしごとをすすめれば いつか脇道に逸れていく 中断して次の日にそこにもどると 飽きそうになった手作業に まだちがう間道が見えるかもしれない 夏の暑さも そう思えば しごとにちょうどよい季節とも言える