札記1

高橋悠治

耳は世界にひらく 口をひらいても ことばはだれも聞かない
目をひらく 世界をみまもり よけいなうごきはしないのがよい

カフカのノートや日記 てがみは カフカの背中 書かれた文字を読み 意味を分析しても それを書いた手のうごきには届かない その手のうごき 手の心は だれにわかるだろう 手がうごき カフカは手についていく うごきは予測できない 手はカフカからも隠れている

線の両端を軸にして転換する テンセグリティーでも見た関係の網のなかで 位置・重心方向のちがい その感触をためしながらゆっくりすすむ 余韻 隙間 裂け目 分類せず 判断せず 見まもるなかで ひらいてくる世界 

情念はひとを滅ぼす エピクロスのように 羊のチーズとワインだけで日をすごし とまではいかないが 隠れて生きる にはそれなりのスタイルがある こまったことに 音楽を職業としていると 人の集まる場所に行くのは避けられない 

1965年から50年以上 共演し 対話を続けてきたPaul Zukofsky が 2017年6月7日香港で亡くなった 音楽をめぐり ことばをめぐっての メールのやりとりは5月で途絶えた 覚めた目 アイロニーにみちた鋭い観察 ひとり生きたひと