転じる

高橋悠治

全体から細部に降りていくのでは、最初の思いつきを越えるのがむずかしい。書いているあいだに思いがけない発見がなければ、作業はおもしろくない労働をこなしているだけになる気がする。音楽のような、他人には時間を使う意味がないようなことにかかわっていると、時には自分でも何のためかわからなくなる。

目的があれば方法が見つかるかもしれない。でも目標がわかっていれば、そのための方法を見つけるのには技術と経験がいるかもしれないが、それらはある程度意識しないでも身に着いてくる。そうでなければ、職業としてやってはいけないが、それだけではおもしろくない。

予期しなかった不完全、そこで思いつく方向転換、思いつかなくても、手がすべったりするのを意識的にしてみるようなこと、そんな試みを重ねて、そこで残る曲線。

昔あった連歌という遊び、感覚で始まり、経験が重なり、整理されて規則になっていく前に、続くかどうかを、感じで判断する段階で、留めておく。

線の突きと返しの、中断を強調して、不規則なリズムをつくる。ひとくさりを見直し、変化した連鎖を継ぎ足して、鎖の次の輪をつくる。見渡す範囲を毎度広げながら、限られた領域、たとえば楽器の音域や、音の長短の限度内で、同じ組み合わせを避けながら、どこまで続けられるか。

同じフレーズが出て来そうになったら、そのどこかを少し変えてみる。すると、その先はもう同じにはいかない。線になっている音の順序を変えると、行先はそこから変わる。

音の位置を点と感じるのではなく、動いている線が同じ位置で止まっている時間と感じるのでなければ、同時にある音の集まりの響きや、それが短い時間のなかに崩れてできる余韻の変化ではなく、短い折線の重なりと感じられるように、時間のズレやブレを使うこと、線の途中が途切れて、かすれたような、飛白と呼ばれた効果に近い中断、こちらは突きと返しとはちがって、消えかかる息。

ことばのように意味に頼れない音符を使い、楽器の音域や、息や弦の長さ、手や指のうごぎによる、あいまいな広がりの空間のなかで、同じ組み合わせが二度と起こらない、変化の時空を見守っているとき、そこで起こることに介入しないで観察し記録する結果から、見過ごしている隙間にある何かに、後で、あるいは他人のように気づけば、それが発見になり、曲がった道ができていくだろう。