イメージを追うのではなく その時の感じ からだがかすかに動く感覚を覚えておく その感覚は 呼び起こされるたびに おなじイメージを作るとは限らない 決ったイメージを作ることを目標としないで 想像力をあそばせておく こうすれば 固定したイメージを再現する作業にしばられないで おなじ道を通っても 見えてくる景色はいつもちがうかもしれない
演奏や作曲は 決った音の道を辿り その道を作り出す それでも即興から生まれた道は 偶然で不安定だが それを分析して 要素に還元し そこから全体を構成すれば 道は踏み固められる そうしないで もう一つの偶然でそれに応えれば 対話が生まれ それに引き込まれた道は 論理の展開ではなく どこまでも分かれ道が続いて 推測で一つの道を選ぶのはむつかしくなる 楊朱の「多岐亡羊」
一瞬見えたような気がする その感覚が消えないうちに 声にしてみる 外のイメージは 声の感じになって残る 芭蕉「物の見へたるひかり いまだ心にきえざる中にいひとむべし」(赤さうし)
まだ音にならない からだのなかで いくつかの場所がかってにうごくリズムがある そのリズムをわずかに感じながら それを操ろうとはしない 途中で見切りをつけて そこを離れる そうしないと 道ゆく人が立ち寄ることなく 対話も続かない 「われらが心に 念々のほしきままに来たり浮かぶも 心といふもののなきにやあらん」(徒然草235段)
一つの句を二つに切って 片端を逆に付けてみる この取合せ「行て帰るの心 発句也」(くろさうし) 平安古筆の返し書きは 紙の中ほどからはじめて 途中から前にもどって行外の余白に続ける
伝統の技法をまなんで ちがう領域に持ち出して使えば 曲解もあり 実験でもある 躓きは飛石となる
蕉風連句の付けと転じを使って 連句は作らない 閉じた世界の構成と管理から歩きだして その歩きの多岐亡羊を 霧のなかに見え隠れする景色をたどってすすむ たちどまらず すこしずつ見慣れないものをいれこんで