ピアノという

高橋悠治

持ち歩けない楽器
運ばない
置いてある楽器 響く家具
蓋をあけて 音を取り出すには

椅子にかけ
両腕平行にさしだし
手首から指の骨がひろがる
小指を軸に 腕は傾き 回り 移る 

座骨の上に 放り上げる身体の影
背ではなく 身体の中心に近くある脊髄
肩はなく 腕があり 
手首があるが 手はない 
爪はなく 指の腹がある
鍵盤の溝をたしかめている
指は押し込むのか 掻き寄せるのか
その両方か

どこを押しても 決った音だけなら
慣れた平均律の耳は 
共鳴のちがいをききとれないか
どこを押しても 揃った響が返るだけなら

鍵盤に固定された音階は
音の抑揚ではなく
ない色を一つだけのねいろに映し
不揃いな指 抑えたひびき
ずらしたリズム 崩した和音
すれあう余韻 逸れるふしまわし
かすめ取るふち 息づく空間

弱さに引き込まれ
揺れうごく余地を残した
窪みの陰 翳る

進化の止まった楽器
改良の余地もなく やがては捨てられ
音楽も忘れられるのか

思うでもなく
今日も
また