製本かい摘みましては(128)

四釜裕子

楮の皮をむきに茨城の利根町に行った。日本画家の中村寿生さんが中心となって始めた「文間(もんま)楮――利根町で育てる紙ノ木プロジェクト」の作業にまぜてもらったのだ。中村さんは廃校を活用したアートネ・アートスタジオに草茅舎という工房を構えていて、その庭に2011年から180株ほどの楮を育てて収穫し、新潟の門出和紙の工房で「文間和紙」として漉いてもらっているという。

取手駅で合流した車でしばらく行くと、明日は田植えかな、という田んぼががときどき見えてきた。同乗した青年が「うちも今日から田植えです」という。「いいのか?(by 先生)」「いいんです」「ほんとか?」「じいちゃんには悪いけど明日倍働きますから」「おおー」。「何反歩とか何ヘクタールとか言われてもわからないから今見えている田んぼと比べてあなたんちの田んぼはどれくらいあるの?」と聞いて驚いた。大農家じゃない。

着くとすでにたくさんの人がいた。陽射しも強く、晴れやかな佳境感がまぶしい。建物の外にすえられた窯から湯気があがっている。お昼は用意ありと聞いていたのでとっさに「うまそう」と思ったのだけれどもそうではなくて、1メートルくらいに切り揃えられた楮の枝を縦にして続々投入されている。ぎっしり詰めると上から木樽がかぶせられ、これから2時間蒸すという。やはり作業のタイミングを逸したのだろうか。建物の中に入ると、これまたたくさんの人がブルーシートを敷いた床に座って楮の皮をむいている。窯で蒸しては皮をむいて乾かすという作業を、この日、何度も繰り返すらしい。

軍手をはめて手順を習う。蒸したての楮は熱く、さつまいもやとうもろこしのようないい匂いがする。蒸すことで楮の中身が膨脹するようだ。枝の先っぽを両手で雑巾を絞るようにねじると中身から皮が離れ、それを手がかりにしてむいてゆく。手がかりさえつかめれば、シャー、シャーと、むける。蕗の皮むきと要領は同じではないか。ぐるり手がかりをつかめばまとめていっきにめくれそうだがそううまくはいかない。山積みにされていたであろう楮は間もなくなくなった。隣の少年が「もうないの〜?」といった。私も次の蒸し上がりが待ち遠しい。

むいた皮は6、7枚づつ上下をそろえて藁で束ねる。ぎゅうぎゅう縛らない。藁の先をひけばスルッと解ける方法を教わるが、皮がけっこう固いので難儀する。上下をそろえるのは後日の作業のためらしい。刃物で表面の皮をそぐのに向きがそろっているほうが効率がいいということか。これを風通しのいい通路に渡した丸太にかけて乾かす。かびがはえぬよう、注意が必要とのこと。干したようすはさながら昆布である。

身ぐるみ皮をはがれた枝は表面に綿のような繊維がわずかに残っていて、直径は2センチ程度、固くて真ん中に穴が通っていた。黄色みを帯びた白い肌が美しい。束ねられて次の薪になるのだが、子どもたちは外に出てコンコンといい音をさせてチャンバラをし、学生たちは両手に持ってストレッチをし、疲れた人は杖にして歩き、私たちも何かにできそうと2本ばかり選んだのだった。

外では窯の周りにひとだかりができている。隣に広がる楮畑は数センチの幹を残して刈り取られているわけだけれども、数本残された幹にホワホワした赤い花が咲いていた。刈り取ったままの幹も転がっていて、丈は3メートルもあろうか。1年でこんなに伸びるとは! 幹を太く長く育てるために、またのちに皮をむくときのやりやすさや最終的な和紙の美しさのためにも、夏のあいだの芽欠きが大事と聞く。話を聞きながら一連の流れがまざまざと浮かんだ。

結局つごう3度、皮をむいた。家に帰って改めて、寛政10(1798)年刊『紙漉重宝記』を見る。「楮蒸しの図。……二尺五寸三尺ほどに切て蒸す しバらくして小口のかハ少しむけかかるを見て熟せしを知る……」「楮皮を剥ぐ図。……手にもち皮をむきとるなり 中の真木たきぎの外用立なし」「楮皮干しの図。……くくりめをあバきよく干すべし……」。ほぼこの日見たままの図。非効率とか伝統の技とかいうのではなくて、いかにこれが人が楮から繊維をとりだすのに身の丈に合った方法かということだろう。