100円ショップのスケッチブックでノートを作りたいと言われて試作を始める。スケッチブックの台紙を使うのも条件だ。台紙といってもけっこう柔らかいので、表紙の芯にするにしてもゆるっとした綴じがいいだろう。裏打ちした布で台紙をくるんで表紙にして、コプト風製本にすることにした。コプト「風」としたのは、表紙を板ではなく紙に、またリンクステッチで表紙と本文を続けてかがる手順をより簡略化したいと考えたからだ。
東京製本倶楽部の会報61号(2011.9.23発行)と62号(2012.9.10発行)に河本洋一さんが書かれた記事を読み直してみる。これは、同倶楽部が2011年5月から勉強会で「歴史的製本のサンプル作り」を行うにあたって、〈”ABC of Bookbinding” の歴史タイムライン略図を参考に、古い物からやってみる〉こととし、実際に作るにあたっては〈その時代の形式の典型的なものを作る〉〈元の書物のデータが分かっているものをできるだけ再現する〉と決め、歴史的解説を担当された河本さんが2回にわたって寄稿されたものだ。当時私は都合がつかず、参加することができなかったのだった。
最初に作ったのが「ナグ・ハマディ・コデックス」。ナグ・ハマディ はエジプトのナイル川中流の地名だ。1945年に、コプト語(ギリシア大文字)で書かれたキリスト教文書などの写本13冊がたまたまこの地で見つかったそうで、その中のひとつの再現を試みている。本文はパピルス、表紙は革。表紙の芯にもパピルスが用いられ、一折中綴じで表紙に綴じつけて、全体を革紐でくくってある。芯に用いられたパピルスのなかに穀物の領収書の端切れがあり、340年代の日付があったそうだ。それ以前から冊子の形態はあったようだが、現在確認されている最古の実物ということになるだろうか。
勉強会で次に作ったのが、表紙に板を用いて、本文を複数の折りとしてリンクステッチでつないだもの。年代的には、本文のみリンクステッチでかがって表紙の板に貼りつけるタイプが先にあったようだ。原本は表紙の板が樺(カンバ)で2.5ミリ厚、本文はパーチメントのところ、カエデ3ミリの板と、紙を本文として再現を試みる。板には斜めに穴をあけ、本文と続けてかがる。これを一般的にコプト製本と呼んでいる。河本さんの報告には、〈12折りのリンクステッチは、綴じ方がやや複雑な事もあり、目の疲れる作業となった〉とある。確かにこれまで見聞きしてきた限り、本文と表紙の板をつなぐところに奇妙な複雑がある。
コプト製本をおおまかにつかんだとろで、簡略化を試みる。ありがたいことに日々世界中の製本愛好家が動画を公開してくれている。表紙に板の替わりにボードや厚紙を用いる「コプト製本」は満載、さらに、表紙と本文をつなぐ手順のさまざまも見つけることができた。最終折りのみ、糸が二重になってしまうけれども、今回与えられた条件ではこれがベストと思える方法に行き着いて、手順書をまとめる。かがり糸はあと少し太くていいかもしれない。穴に針を通したらそのまま引き抜かないで、両手の指先で糸をたぐるようにすると糸がからまないよとメモをつけよう。
ところで100円ショップのスケッチブックには驚いた。想像以上に良いことがわかった一方で、何冊も買った中に、本文を半分に折ったら直角がとれていないものがあったからだ。たまたまかもしれない。いや、そもそもスケッチブックが直角である必要は? 別にないなぁ。なのになぜ? 笑ってしまった。でも、なにしろこれで100円なのだ。私の手にやってくるまでにこの一冊に関わったすべての人がそれぞれになんらかのプラスになっていればそれでいいのだけれど。そんなことってありうるのだろうか。いわゆるメーカー品の値段への納得が深まりつつも……。
8月末にはコプト正教会最高位聖職者初来日のニュースを聞いた。昨年、日本初のコプト正教会が京都の木津川市に開設されたそうなのだ。来日前に教皇タワドロス2世は朝日新聞に、エジプトで相次ぐコプト教会を狙ったISによる爆破テロについて、「エジプト国民の分断を狙ったもので、国家を傷つけている」と言った。紀元1世紀ごろにエジプトで始まったコプト教、信徒はコプト語、コプト暦を用いて、エジプト全人口およそ9200万人中、10〜15%を占めるそうだ。