製本かい摘みましては(138)

四釜裕子

今日もまた紙を半分に切るところから始めてもらう。「え〜またですかぁ〜」という顔。製本ワークショップなのにカッターで何枚も紙を切るなんてばかばかしい、(前もって裁断機で半分に切って持ってきてよ)というのが本音だろう。実際最初に真顔で「裁断機はないのですか?」と聞かれたくらいだから。毎回あっさりカッターで切り始める人はいる。カッターは苦手だからとはさみで切る人もいる。折り目をつけて両手で左右に引き切る人がいたのには驚いた。もっとも彼は3回目からカッターを使うようになったけど。わずかな誤差が許せなくて何度も紙を替える人、延々切り揃えてひと回り小さくする人もいる。紙を半分に切ることのバリエーションと学習の多様を見せてもらう。切り口の違いを見比べるサンプルが自ずと揃う。

思い当たるふしがある。ルリユールを習っていたとき、延々続く革漉きにうんざりした。ルリユールを習いにきているのにどうしてこう革漉きばっかり続くわけ? と、自分の苦手を棚に上げて何なんだけれども、それが理由で足が遠のいた。漉いた革の細かなくずが腕につくのを防ぐための革漉きエプロンを作って、ごまかしていたほどだ。スキッと貼られた革の裏側にあれほど繊細な手間がかけられているとは想像も及ばなかった。仕上がりが凸凹してもいいから革漉きをちょっとさぼって先に進んでしまいたかった。後で聞くと私はコツをつかむ前に放棄してしまったようで、なれればそれほど面倒ではないという。細かな工程が60以上あり、得手不得手がいろいろあった。かがりと花ぎれ編みくらいかな、満足に仕上がるまでやり直しをいとわなかったのは。苦手と思うと時間は延びる。

古本屋で『活字礼讚』(1991 発行者:近東火雄 発行所:活字文化社 題字:布川角左衛門 装訂:府川充男 序文:西谷能雄)を買う。活版で糸かがり、丸背、函入り、しおりは2本、定価6,500円。宮下志郎さん、杉浦康平さん、横溝健志さん、木島始さん、府川充男さん、岡留安則さん、栃折久美子さん、日下潤一さんなどが書いておられる。

中垣信夫さんの「僕の掌には活字があった」から、杉浦康平さんの元で手伝った読売交響楽団の機関誌「オーケストラ」のところを読む。編集の向坂正久さんとデザインの杉浦さん、印刷屋の営業の永寿さんと「僕」は、定期演奏会が決まるとそのつど集まる。あるとき隅田川沿いの二階家の印刷工場で出張校正兼印刷に立ち会って徹夜、朝になって杉浦さんのお宅で休み、夕方には東京文化会館に向かい出来たばかりの機関誌を買って、そのできを確認しながらオーケストラを聞いたという。職人が手早く活字を締めて整然となった版面が放つ鈍い光、入らなくなった版を金属鋸で切る音、電話、真っ暗な川面……、ごくごく端的なドキュメントなのだけれど、中垣さんが掌に握りしめていたであろう「活字」の熱が伝わってくる。ほかに2、3の思い出がある。〈今から思えば、スムーズに進んだ仕事は総て忘れ、このような思い出ばかりが鮮烈である〉。