〈漫然とページをめくるのではなく、読者が本に介入して、読書の身体性を取り戻したかったのだ〉
共和国代表の下平尾直さんが、アンカットで初版1000部を刊行した『第三風景宣言』(ジル・クレマン著、笠間直穂子訳 共和国 2024)について「共和国急使」の56号(2024.8.20)に書いた言葉だ。その前後をもう少し引用させていただきます。
〈文字どおりのアンカットだが、不良品ではなくこれがデフォルトだ。(中略)「第三風景」という思想を本の形で残そうとしたら、こうなった。(中略)
著者のいう「第三風景」とは、人間が放棄した土地や未開発の土地、あるいは原生地などを指すそうだ。(中略)「権力も、権力への服従も表わさない空間」「非生産性を政治の高みへ推しあげる」といった一節なんて、小社の憲法にしたいよな〉
「第三風景宣言」の命名の参照元はシエースの『第三身分とはなにか』(1789)とのことで、翻訳した笠間直穂子さんはあとがきに、ジル・クレマンは『第三身分とはなにか』同様に薄手の政治的小冊子(「パンフレ」とルビ)として『第三風景宣言』を2004年に刊行していること、またこのたびの日本語版については、〈共和国の下平尾直氏は、本書の意義を汲みとって、パンフレとしての性格を活かした本づくりを考え、デザイナーの宗利淳一氏およびモリモト印刷の方々とともに形にしてくださった〉と書いておられる。
重版以降は通常の造本・体裁になるというので、刊行前に予約したのだった。間違いなく三方断ち前の状態でうちにも届いた。四六変形判の縦長の並製で、天(本の上側)に1ミリくらいのチリ、地(本の下側)はぴったり、小口(本の手前側)は逆チリ1ミリという感じ。表紙の天と小口側に裁ち落とし指示風にデザインされたラインがあり、これに沿って断裁すれば地の袋だけが残るのかな……など思い後ろ髪ひかれつつ、まずは地の袋にカッターを入れて切っていく。ペーパーナイフを気取ることはないだろう。折り山には機械で折る際の空気抜き穴が10ミリ間隔くらいであいているので、切り口はやや規則的にざらざらになる。これをしてペーパーナイフで切ったようないい味が出ているとも言えるし、単にキタナイと思う人もいるかもしれない。
印刷する本の中身は、基本的に片面8ページ分を両面に面付けして大きな紙に刷る。それを半分、また半分、さらに半分に折ると1ページ分サイズの束になり、そのかたまりを「1折り」という。『第三風景宣言』はこれがまず10セット、すなわち10折りと、同様にして片面4ページ分を両面に刷った紙を、半分、さらに半分に折った1折りを重ねた全168ページとなっている。小口側は4枚のペラのあとに袋状のページが2つという組み合わせの繰り返しで、袋状になったところを開いていくのだが、この折り山に空気抜き用の穴はない。カッターの刃を新しいものに替え、ここは丁寧に切ることにした。全部切ると、表紙からはみ出る4枚とほぼぴったりの4枚が交互にあらわれる。規則性があるのでこれまたラフないい味が出ていると言えるが、読むのにややめくりにくいのが難だ。何度も読む人ほどちょっとイラッとするかもしれない。でもこの凸凹のせいだとまもなく気づいて、カッターで切りそろえる人がいるかもしれない。これもみな〈読書の身体性〉、大いに賛成。
一度とおして読んだけれども「第三風景」という概念をつかめていない。でも、何か目的があって出かけるとき、自宅や駅や駐車場からその目的地までの間にも延々と在るすべての風景なんかも、そのときの自分にとっての”第三風景”と呼んでみてもいいだろうと思った。例えば佐倉市のDIC川村記念美術館に行くときはいつも佐倉駅からバスに乗ってしまうが、それでいつも建物の周囲をないがしろにしてきた。あるとき千葉モノレールの千城台北駅から歩けそうじゃない?ということで行ってみたらば、住宅地、うねる道、道祖神、美しい谷津田や折々の開発の残骸を抜け、行きつ戻りつしながらようやっとたどりついたのだった。帰って空撮地図を見て、確かにあの場所に作られた庭園、そこにつながる道路をバスでただ往復していたことが実感できた。便利は点を線でつなぐし、目的は放棄と引き換えだ。〈多様性の避難場所〉という言い方にも勝手に合点してしまった。
「アンカット本」ということでいうと、間奈美子さんの『ビブリオ・アンテナ6 ピンクの肋』(未生響著 空中線書局 2002 限定500部)のことを記しておきたい。16ページの中綴じで、塩ビ板製のペーパーナイフが付いた美しい小冊子だ。〈幼日は一片のピンクの肋を嵌めた語の體で蒼穹のメルヒェンを異想する〉。空中線書局は今年で30年、その記念展が秋には午睡書架で(終了)、来年2月には恵文社一乗寺店アンフェールで予定されている。アンカット本でもう1つ、書肆山田の「草子」シリーズは16ページを折ったままで刊行していた。手元にあるのはその「8」で、谷川俊太郎さんの『質問集』(1978)だ。それを包むカバーというか袋に刷られた刊行案内には、1)瀧口修造、2)天沢退二郎、3)吉岡実、4)飯島耕一、5)三好豊一郎、6)岩成達也+風倉匠、7)高橋睦郎、8)谷川俊太郎、その後の予定として、佐々木幹郎、吉増剛造、澁澤孝輔、大岡信のお名前があった。このシリーズの全貌を知らないのだが、のちに特装本に仕立てるような方もいたのだろうか。